自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1123冊目】P・ウルムシュナイダー『宇宙生物学入門』

宇宙生物学入門―惑星・生命・文明の起源 (World Physics Selection Readings)

宇宙生物学入門―惑星・生命・文明の起源 (World Physics Selection Readings)

本書のテーマは「地球外知的生命体は存在するか」、ようするに「宇宙人は存在するか」というものだ……というといかにも「トンデモ本」っぽく感じられるかもしれないが、いやいや、実はたいへんマジメな一冊なのだ。

だいたい本書が邦訳されたのだって、なんと東大物理学科の理論演習でこの本の原書をテキストとして選んだところ、あまりにデキがいいので翻訳した、といういきさつなのだ。それだけでも、いい加減な本ではないことは窺えるだろう。

読んでみると、実際この本はかなりガチンコの手応えがある。なにしろ宇宙の誕生に始まって、惑星の生成、地球の成り立ち、生命の発生と進化と、宇宙物理学から生命科学までの基礎知識が全体の半分以上にわたって詳細に解説されているのだ。そのため、宇宙人に興味がなくても、前半〜中盤部分だけで本書は十分「使える」宇宙論・生命論のテキストとなっている。

その部分だけでも、いろいろ面白いポイントがあったのだが、個人的には、(ひょっとしたら常識なのかもしれないが)樹上生活が霊長類の脳の発達を促した、という指摘が印象に残った。木から木に飛び移るためには立体的な距離感の把握、微妙な動きのできる手足、果実のとれる木を覚えておくための色の認識力、記憶力などが必要になるためだ。これまで漠然と「木から下りることでヒトに近づいた」と思っていたのだが、実際は樹上生活の段階でその下地ができていたということらしい。

さて、そうはいっても本書の眼目はやはり「地球外の知的生命体」を探るプロセスにある。本書が宇宙物理学から生命科学までをぎっちりと解説しているのも、そうした宇宙の構造、生命のしくみの本質を踏まえないと、「そこから先」に話が進まないからだ。

そして本書は、地球外の知的生命体について「存在する可能性が高い」と考える。その基礎となるのが「ドレイク方程式」だ。これは、地球外文明の総数を以下の掛け算で計算するもので、おおむね以下の要素を掛け合わせるものになっている。ちなみに、雑誌「ニュートン」などを覗いたところ、今はこの数式自体も見直しが進んでおり、それなりのバージョン・アップが図られているらしい。念のため。

「銀河系内に存在する生命に適した恒星の数」(Ns)
         ×
「そのような恒星が惑星をもつ割合」(fp)
         ×
「その中でハビタブルゾーン(生物の存在が可能な領域)
 内を公転する地球型惑星の数」(nE)
         ×
「その中で生命が生まれる惑星の割合」(fL)
         ×
「その生命が知的生命体になるまで進化する惑星の割合」(fI)
         ×
「電波で交信を行う文明の割合」(fC)
         ×
「そのような文明の寿命」(L)
         ÷
地球型惑星やその主星が銀河系内に存在する期間」(Ls)

このそれぞれの項目をどう見積もるかが、実はそもそも難題なのだが(その判断のために、宇宙物理学や生命科学の基礎知識が必要になるのだが)、結論だけ言うと、まずハビタブルな(生物が生きられる)惑星の総数がこの銀河系内におよそ400万個と見積もられ、中で実際に生命が存在し、それが知的生命体に進化し、まだ絶滅していない=現在残っている文明社会は、4000個ということになるという。つまり、単純にいえばこの銀河系内に4000の「知的生命体による文明」が存在すると推測されるわけなのだ。

どうだろうか。多いだろうか、あるいは少ないと思われるだろうか。宇宙全体では無数の銀河がある中で、この銀河系だけで4000個というのは、私はけっこう夢のある数字だと思う。本書の最後のほうでは、そうした生命体とコンタクトをとるための試みについても触れられている。確かにそれも大切かもしれないが、私はむしろ、こうした認識をもつことそのものの重要さを感じておきたい。それは、アーサー・C・クラークが『(地球)幼年期の終わり』で描いたことにも通じる世界認識のあり方だと思う。人間だけが唯一の知的生命体だなんて、本書でも指摘されているが、まさにかつての天動説にも似た思いあがりなのではあるまいか。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)