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自治体職員の読書ノート

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【1878冊目】青柳いづみこ『ピアニストは指先で考える』

芸術・芸能・スポーツ

 

ピアニストは指先で考える (中公文庫)

ピアニストは指先で考える (中公文庫)

 

 

最初に白状しておくと、私はピアノは全然弾けない。聴くのはけっこう好きだけど、自分で弾こうとは思わない。だいたいあの、両手で全然違う動きをするというのがアンビリーバブル。絶対ムリ。

そんな「非・ピアニスト」でも、この本はたいへん面白かった。なるほど、ピアニストというのはこういうことを考えて、こういうことを悩んでいるのか、と感じ入ったところが何箇所もあった。次にピアノ曲を聴くときは、見方・聴き方が大きく変わりそうだ。

最初の「曲げた指、のばした指」にまずびっくり。なんでもピアニストには「曲げた指で弾く人」と「のばした指で弾く人」がいるらしい(知らなかった!)。「曲げた指」はピアノの前身であるクラウザン時代以来の伝統的奏法で、個々の音はクリアになるが、単音が伸びずやわらかさに欠ける。一方「のばした指」は手をぶらんとさせて脱力した状態で弾く奏法で、豊かな響きが出るしミスタッチも少ないが、音の粒立ちはやや悪く輝きに欠ける。興味深いのは、この両方を身につけた人が滅多にいないということだ。途中で「転向」するケースはあるらしいが(著者自身も「曲げた指」から「のばした指」に移行した一人。ショパンの曲に「曲げた指」ではうまく弾けないところがたくさんあったためらしい)。

ピアノは身体能力のよしあしが演奏に影響してくるという面で、体操に似ている。この点で興味深いのが、ナディア・コマネチの演技を引きつつの「完璧さ」と「芸術性」の比較論だ。コマネチは身体能力のみならず精神力も抜群で、演技中にいろんなことを感じてもすべて心の中に抑え込み、鉄壁の集中力でミスのない演技をした。こうした例はピアニストにも見られ、例えば若き日のポリーニは「完全無欠」の演奏でそれまでの常識をくつがえした。コマネチのように、何があっても動揺せず冷静さを保って完璧な演奏をするピアニストは、ほかにも少なくないらしい。

だが、本当にそれでよいのか、というのが著者の疑問だ。そもそも芸術作品は心の揺れ動き、つまり「動揺」でできている。演奏家に求められているのは「傷つきやすく、もろい作曲家の心理にはいりこみ、ともに悩み、ともに泣き、ともに喜ぶ」(p.329)ことではないのか、というのである。

このくだりにはいろいろ考えさせられる。「うまい演奏」「よい演奏」とは、そもそもどういうものなのだろうか。ミスなく完璧な演奏が、必ずしも「よい演奏」とは限らない。その点にこそ、音楽、あるいは芸術というものの「妙味」があるのではないだろう。

このあたりは、読んでいて中村紘子の名著『チャイコフスキー・コンクール』を思い出した。あの本も、コンクールという「技術点」が問われがちな分野であるからこそ、かえって見えてくる「ノーミスと人間性」の狭間を提示していた。本書でもコンクールの審査風景が登場するが、やはり演奏に点数をつけるのは(フィギュアスケートに点数をつける難しさのように)難しいものであるらしい。