自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2615冊目】岩城宏之『オーケストラの職人たち』


岩城宏之のエッセイは面白い。本職が指揮者とは信じられないレベルです。日本エッセイスト・クラブ賞まで受賞しているくらいですからね。


本書はその岩城マエストロが、オーケストラの「裏方」にフォーカスをあてた一冊です。ステージマネージャーに楽器の運搬、写譜にピアノの調律、さらには演奏旅行に同行するドクターまで、その範囲は実に多様多彩。オーケストラに限らず「興行」というものは、表に立つ演奏家や役者といった人々だけでは到底成り立たないものなのだということを、あらためて認識させられます。


著者自身も知らないことがたくさんあったようですが、びっくりしたのは、その実情を知るために、徹底したリサーチにインタビュー、さらには楽器運搬の「一日アルバイト」までやっていること。世界に名だたる指揮者とは思えない熱心さ、フットワークの軽さです。でも、そんな人間性と飽くなき好奇心があってこそ、指揮者として長年第一線で活躍してきたのでしょうね。これは会社などの組織でも当てはまりそうです。


音楽界の雑談めいた裏話も満載です。特に印象的だったのは、アンコールにまつわるエピソード。ベーム率いるウィーン・フィルハンブルグでの演奏旅行で白熱の「運命」を演奏し、拍手喝采となりました。そのアンコールでウィーン・フィルの定番「美しき青きドナウ」の演奏を始めたとき、なんと大勢のお客さんが足音をしのばせてホールを出て行ってしまったそうです。


「彼らはもちろんウィーン・フィルの『ドナウ』が好きなのだ。だが、ベートーヴェンの『運命』の白熱した演奏の興奮のあとに、この美しいワルツを聴きたくなかったのだ。ベートーヴェンの感動だけを胸にしまって、その日をおしまいにしたかったわけである」(p.234)


演奏会のマナーに正解はありませんが、それにしても、こういうエピソードを読むと、私たちは本当に音楽の楽しみ方を知っているだろうか、と考えさせられてしまいます。