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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1727冊目】ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』

情報・イメージ・ことば

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈下〉

薔薇の名前〈下〉

図書館本20冊目。

といっても、本書に「図書館」は登場しない。出てくるのは中世ヨーロッパの僧院(修道院)に設けられた「文書館」である。もちろん中世の「文書館」であるから、開架式で貸出しOKなどという現代の図書館とはだいぶ違っている。むしろ、当時の修道院のライブラリーは、限られた人々しかアクセスできない知の迷宮であった。知識は一部の人々に独占され、秩序と権威と威厳を生みだしていたのだ。

危険な本というものもあった。異端の教えに関する本、キリスト教の教えに反する本。これらは所蔵されてはいるものの、読むことは許されない。さらにいえば、そうした本を読ませたくない、そうした本に書かれていることを認めたくない、と思う人々もまた、存在する。

本書はそうした、本というものをめぐる空前絶後の推理小説だ。本のもつ秘匿性の薄暗がりが、陰惨な連続殺人事件と絡み合っている。

「書物に囲まれて、書物と共にあって、書物によって生きている人びとのあいだに起きた事件を、わたしたちは調べているのだから。それゆえ、書物をめぐって彼らが口にした言葉は、いずれも重要なのだ」(上巻p.178)


本書の語り手は見習修道士のアドソ。このアドソをワトソン役に、フランチェスコ会修道士「バスカヴィルのウィリアム」がホームズ役となって、ある僧院で起きた連続殺人事件に挑む。そこに「本」が絡んでくるのは上に書いたとおりだが、さらにキリストとアンチ・キリスト、正統と異端、フランチェスコ会やドミニコ会教皇と皇帝の対立などが重ねあわされ、さらにはエーコお得意の記号論までもが登場する。

しかも出てくるのは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスを思わせる盲目の老人(その名も「ホルヘ」という)や、妙な言葉を話す厨房係の助手や、厳格で峻烈な異端審問官など一癖も二癖もある連中ばかり。しかも、迷宮と暗号がウィリアムらを悩ませ、さらにはクリスティのマザー・グースばりに、ヨハネの黙示録をなぞるようにして、おぞましい殺人事件が次々と起きるのである。

要するにこれは、到底タダの「推理小説」ではない。むしろ小説の体裁をとりつつ、エーコが構築した桁外れの「知の伽藍」なのだ。それがまるで、教会のステンドグラス画や天井画に多くの物語が織り込まれているように、小説の中に立体的に折り畳まれ、しかもそれが単なる傍論の博識というだけではなく、物語そのものの重大な伏線となっているから油断ならない。

つまり本書は、筋書きを追っているだけでは到底読み通せない「推理小説」なのであって、そこらじゅうに仕掛けられた「知のハイパーリンク」をどんどん辿って多重読書をしていくことが、結果的には謎解きにつながっていくという、空前絶後の立体複合的ミステリーなのである。

そしてそして、なんといっても、冒頭に書いたとおり本書は「本をめぐる物語」であり、文書館という存在、知の隠蔽と公開という図書館をめぐるテーマが、そのまま物語の心臓部に直結している。図書館本としてこの一冊を挙げた理由を、本書を読んだ方は、必ずや理解していただけるだろう。今の図書館とはまったく違うが、本書はたしかに、図書館というもの、本というものの核心部分に、ぶっといクサビを突きたてた一冊なのである。