自治体職員の読書ノート

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【1718冊目】アヴィ・スタインバーグ『刑務所図書館の人びと』

刑務所図書館の人びと―ハーバードを出て司書になった男の日記

刑務所図書館の人びと―ハーバードを出て司書になった男の日記

図書館本11冊目。たぶん実在する図書館の中ではもっとも「異色」な場所が舞台の一冊。

厳格なユダヤ教徒の家庭を飛び出し、ハーバード大学を出て死亡記事のライターをしていた著者は、ひょんなことから刑務所図書館の「司書」の職に就く。本書はその壮絶な経験を綴ったノンフィクション・ドキュメントだ。

こう書くと「本を通じて受刑者が生まれ変わった」なんていうお涙頂戴の内容を思い浮かべるかもしれないが、いやいや、刑務所はそんなに甘くない。なにしろそこにいるのは、筋金入りの連中ばかりだ……受刑者も、刑務官も。

むしろそこで揺さぶられ、かきまわされ、こづかれて変わっていくのは、著者自身。なんというか、読み進めるにつれて、やや線の細い印象だった著者が、どんどん「タフ」になっていくのだ。それが良い事なのかどうかは、わからないが。

刑務所の図書室がどんなところだったかは、以下の引用でだいたいわかることと思う。

「…要するに、刑務所の図書室はシャバの図書館とは大きく異なる。たしかに読書クラブもあるし、詩の朗読会もやるし、たまにはそこで静かに考え事をすることもある。だが、しんと静まり返っていることはほとんどない。刑務所の図書室は交差点みたいなもので、大勢の受刑者が差し迫った問題に対処するためにやってくる。刑務官やその他の職員が立ち寄ってたむろして、物事をややこしくすることもある。大勢の人間が入り乱れ、あわただしく時が流れる。ぼくも走り回っていることが多い」(p.13)


面白いのは、図書室が受刑者同士の手紙のやり取りの場所として使われているというところ。彼らは、手紙をこっそり本に挟み込む。男性受刑者と女性受刑者は、当然ながら図書室の利用時間が分けられている。だから図書室がロマンスの舞台になるというわけだ。

著者は図書室の「主」として、刑務所の規律を守らせようと奮闘する一方、刑務官による理不尽な扱いには毅然として立ち向かう。図書室の司書として、受刑者に対して何ができるかギリギリのところまで考える。その熱意が単純に実を結ぶことはなかなかないが、そうした著者を信頼する受刑者もいる。そして、そこにいくつかのドラマが生まれるのだ。

印象的な受刑者は、本を書くことで少しずつ変わっていく「C・C・トゥー・スイート」や、料理に興味があるチャドニー、孤独な図書係のエリアなど。中でも忘れられないのは、ジェシカという女性受刑者だ。創作クラスに顔を出すが、創作にはほとんど参加せずずっと窓の外を見ている彼女は、本を読むよう勧められて、その前に書いた人の顔写真を見せてくれと言い、フラナリー・オコナーの写真を見て言う。

「どこか壊れてる感じがするでしょ? それに美人すぎないし。だから信頼できる」


ジェシカには息子を「捨てた」経験がある。その息子がなんと、同じ刑務所にやってきてしまう。ジェシカがずっと窓の外に顔を向けているのは、運動場にいる息子の姿を見るためだった。著者はジェシカに、息子への手紙を書いて渡してはどうかという。ジェシカの似顔絵を絵の上手い受刑者に描いてもらい、それも一緒に渡すのだ。だが結局、手紙と似顔絵は渡されない。ジェシカは別の刑務所に移送されるが、後に薬物の過剰摂取で死んでしまう。

そんなジェシカを著者は信頼していた。遠距離恋愛をしている恋人がいることもジェシカに話した。ジェシカは「なぜ結婚しないの?」と聞く。いろいろ理由を挙げる著者に、彼女はこう言うのだ。

「あなたにはわからないと思う。自分にとって大事なものを何もかも失うのって、どんな感じか。でもあたしはわかる。だからいうの」

「囚人服を着てるあたしのいうことなんか、なんできく必要がある?って思うでしょうね。たしかにそう。あたしは知る価値のあることなんて何ひとつ知らない―けど、いまいったことだけは知ってるの」


それにしても結局のところ、刑務所に図書室のある意味とは何だろうか。娯楽や息抜きのためか、シャバに出た後に使える実用的な知識を仕入れる場所か。それもあるだろう。だが、それだけの場所だったら、この本に書かれているようないろいろのドラマが、そこで生まれるとは思えない。著者はこう書いている。

「図書室にやってくる者はみな、何かをさがしていた。そして、彼らのさがしているものはそこに、本棚のあいだにあった。本棚のあいだで、エリアは自分の居場所をみつけ、ジェシカは紙で作った花を髪にさして似顔絵を描いてもらい、不安がっている同房者に慰めのリボンを贈った。ダンキンドーナツでぼくが会った若い風俗嬢はそこに座って美術書に見入り、チャドニーは最初のいくつかのレシピを覚えた。何百人という受刑者がそこで足を止め、何かをさがした。ときには、何をさがしているのか自分でもよくわからないままに」(p.503)


このくだりを読んで、ちょっと気付いたことがある。刑務所の図書室は確かに「シャバの」図書館とは違う。しかしこれって、まさに「シャバの」図書館に求められている役割そのものではないか。図書館に来る人たちは、何かをさがしているのだ。そこで求められているものは、ひょっとしたら本そのものじゃないかもしれない。その空間であったり、そこで行われているイベントであったりするかもしれない。でも「図書館」とは、そうしたこともひっくるめて、「そういう場所」なのだ。

だから、刑務所そのものが、ある意味で社会の縮図であるのと同じ意味で、刑務所の図書室は「シャバの」図書館の似姿なのだ。おそらく、この本が書かれた意味はそこにある。著者は刑務所図書館の「特異性」をユーモラスに描き出すと同時に、そこに現代社会そのものの寓意を読みこんでいるのだ。「図書館本」として、ここに本書を取り上げたゆえんである。