自治体職員の読書ノート

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【1554冊目】辻村深月『ぼくのメジャースプーン』

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

小学校四年生の「ぼく」が主人公ということで、ほのぼの系のストーリーかと思っていたら、意外な「深さ」にびっくりした。ちなみに前に読んだ『凍りのくじら』で著者がドラえもん好きだという印象が強かったので、そういえば小学校四年生って「のび太」だよなあ、と考えていたのだが、それは特に関係ないみたいだ。残念。

さて、本書の「小学校四年生」はえらく大人びている。のび太とはえらい違いだ。そして、この男の子は不思議な「力」を生まれながらにして持っている。それはある「条件」を提示し、それに従わないとある「罰」を与える、というもの。言うなれば強烈な心理誘導術、あるいは催眠術のようなものだろうか。

学校のうさぎを惨殺し、仲良しの「ふみちゃん」の心を壊した男に対して、この男の子が「力」を行使して罰を与えようとする、というのが、ざっくり言ってしまえば本書のストーリーラインになっている。そして、男の子は力の使い方を学ぶため、同じ「力」をもつ親戚の「秋山先生」に会いに行くのだが、実は本書、ほとんどがこの「ぼく」と「秋山先生」の対話から成り立っているのだ。

もちろん日常生活にまつわるいろんなエピソードやイベントが頻繁に挿入されるのだが、メインはかなりディープな哲学的対話である。テーマはこういうもの。罰を与えるとはどういうことか。人は人を裁き、罰することが許されるか。誰のために罰を与えるのか。復讐とは。そして、愛とは……

読んでいて連想したのは、ドストエフスキー。もちろんその深さにおいては到底かなわないが、本書を通じて著者が掘り下げようとしているテーマは、かのロシアの文豪が『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』でやろうとしたこととどこか通じるものがあるように思えた。

そう考えると、タイトルの「メジャースプーン」もイミシンだ。ふみちゃんにもらったアクセサリーのメジャースプーンであると同時に、それは罪を量り、罰を量る計量匙のメタファーなのだから。しかもそれは「ぼくの」メジャースプーンなので、つまりは量刑も自分でやらなければならない。思えばずいぶんとヘビーな能力である。

それにしても、このテーマは「小学校四年生の男の子」にとってはいかにも重い。重さに耐えかね、自らも悪と罪にまみれていこうとするさまは、読んでいて痛々しい。「怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬように心せよ。汝が久しく深淵を見入るとき、深淵もまた汝を見入るのである」と言ったのはニーチェだったが、たかだか10歳ほどの男の子が覗きこもうとしたのは、まさに人の心の深淵であった。

小説と言うより、これは「対話篇」として読むべき一冊だろう。その一方が10歳の子供というのがいささかアンバランスだが、しかしそれだけに、何かがものすごく澄んだかたちで伝わってくる。それが何なのか、うまく言葉にできない自分がもどかしい。先生との対話を通じて、最終的に、この男の子がどんな「条件」と「罰」を選んだのか。最後まで目が離せない一篇だ。

凍りのくじら (講談社文庫) 罪と罰〈上〉 (岩波文庫) カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)