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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1140冊目】松岡正剛『空海の夢』

原理・思想・宗教

空海の夢

空海の夢

以前読んだ2冊が「空海入門書」だとすれば、本書はいわば応用編。空海真言密教の基礎知識がある程度備わっていることを前提に、空海の思想や事績を「広がり」の中で捉える一冊だ。なにしろ、その話題は生命の発生と進化から人間の二足歩行、気候変動と文明の変化、さらにはホワイトヘッドと空海の類似性など、おそろしく広範囲に及ぶ。

それは著者の博識もあろうが、空海の思想の潜在的な広がりが単なる仏教の枠組みをはるかに超えるものだ、ということでもあるように思う。さらに付け加えれば、著者は空海という宗教者を、単なる歴史上の人物として歴史の中に位置づけるだけでなく、「現在性」の中で、つまりは現在・現代において語るという試みを成し遂げている。そのあたりについては、新版に付された長いあとがき「母なる空海・父なる宗教」に具体的な解説がなされている。

「私は空海をたんなる歴史上の人物として描いたわけではなかったのだ。空海の現在性をば書きたかったのだ」(p.377)

空海のような破天荒な想像力を現在に向かって展示した者は、ついつい仏教史のなかで軽視されるという憂き目をかこってきた。空海を扱うには、まさに歴史の一点にとどまっていてはその想像力を封印してしまうことになるのにもかかわらず、そのようには扱われなかったのだ」(p.378)

このような問題意識があるからこそ、本書は空海を、刊行当時最新の生物学や量子論、言語論、哲学の中に位置づけ、いわば歴史上の「飾り物」の位置から救い出すことに注力している。それが成功しているかどうかの判断は、私の手に余る。しかし、そうした試みの結果、本書がこれまでの解説書とは全く異なる空海像を描き出していることは確かである。

内容については、空海の思想や密教とタオイズム、あるいは華厳との関係など、いろいろ興味深い指摘があるのだが、もっとも印象に残ったのは、空海が部分と全体を相互相入的に捉えているとした部分。

空海が確信していたことは真言か念仏かなどということではなくて、仮にどこかに一人の真言者がいるとするなら、その一人の世界をのぞきこめばそこは無限の真言がはじまりうるということだったんじゃないかとおもう……水たまりにだって大空は映っているのだし、たった数センチの眼球にだって全天の星は入りうる」(p.294)

そして、それを言い換えると、ホワイトヘッドの次の一文に帰結する。なお個人的には、本書の最大の見どころは「ホワイトヘッドと空海」と題された小論だと思うが、どうだろうか。

「一個の有機体はそれが存在するためには全宇宙を必要とする」(p.354)ホワイトヘッドについてはまだまだ不勉強なのでこのへんでとどめておきたい。いずれは挑戦したいのだが……。

さて、最後に本書の中でもっとも印象に残った文章を挙げておく。全体の文脈からそれば傍論に位置するのだが、自分の関心からすればど真ん中のストライクだった。「自分らしさ」とか「アイデンティティ」といった考え方のうさんくささをよく捉えた一文である。

「ふつうアイデンティティは自己同一性というふうに解釈されて、主体性の一貫を申しひらく意味につかわれる。簡単にいえば『自分らしさ』である。けれどもこれは近代的自我がつくりあげた勝手な弁論だった。本来、個人主義的な主体性などというものはない。ましてそれが一貫するなどということがあってはたまったものじゃなない。それではただひたすら『私』という得体のしれぬ者の筋を通すために、他は犠牲になるばかりである。祭ヨウ*の言う筆法の極意はそこにはなかった。自分らしい「私」を主張する書をつくれとは言わなかった。相手に入ってしまうことがむしろアイデンティティであるとみた」(p.188) *ヨウはフォントがなかった。

いずれにせよ、空海、あなどれない。