自治体職員の読書ノート

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【964冊目】カール・ポランニー『経済の文明史』

経済の文明史 (ちくま学芸文庫)

経済の文明史 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: カールポランニー,Karl Polanyi,玉野井芳郎,石井溥,長尾史郎,平野健一郎,木畑洋一,吉沢英成
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 文庫
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われわれの生活や社会活動は、今や経済の中に埋め込まれている。しかし、かつては経済こそが、社会に埋め込まれていた。

「お金で買えない価値がある」というCMがあるが、実際は、今やほとんどのモノに値札がついている。われわれのほとんどすべての活動は「換金可能」。市場経済の網の目の中に、われわれの社会はすっぽりくるみ込まれてしまっている。

しかしかつては、経済こそが社会に「埋め込まれて」いたと指摘するのが、本書の著者カール・ポランニーだ。その実例として挙げるのが、古代バビロニア、西アフリカの奴隷貿易、さらには文化人類学者によって「発見」された未開地における社会。そこでは一見、市場があり、経済活動がそこで行われているように見えるが、実はそこで支配的だったのは、むしろ共同体や社会の慣習に基づく「非市場的な」ルールの数々だった。

今のような、価格がその内部で決定され、利潤を最大化するための自由な競争が行われる「市場」が登場したのは、人類の歴史から見ればつい最近のこと。市場の法則がこれほどまでに支配的になり、社会が市場に従属せざるをえないような状況は、人類史全体からみればきわめて例外的なのだ。

商品に値札をつけるのは、まだよい。特に著者が問題視するのは、「労働」「土地」「貨幣」の3つに値札をつけ、商品化し、市場での流通を可能にしてしまったこと。この3つは、もともと「値段をつけられない」ものだったのだ。それが商品として取り扱われるのは、実は一種の擬制(フィクション)なのだが、そうした「擬制商品」を流通させる経済活動が、今や当たり前のことになり、結果としてわれわれの社会をむしばんでいる。

なぜ、この3つに値段をつけてはいけないか。労働とはつまり、人間そのもののことだ。人間があってはじめて社会があり、本来の経済はその中に埋め込まれたものにすぎない。しかし労働を商品化することで、大きな倒錯が起きる。社会を構成するはずの人間が、時間単位で値札をつけられて切り売りされることで、それまで共同体によって保護されていた人間は、むき出しで「市場」にさらされるようになった。

労働が人間なら、土地は自然そのものである。自然もまた、われわれの社会をとりまく環境そのものであり、生活を支える基盤のはずだ。しかし、それが値段をつけられて切り売りされることで、自然環境は破壊され、そのツケはわれわれ自身に戻ってくる。著者はこうした、労働や土地の名のもとに人間や自然を押しつぶすこのシステムを「悪魔の挽臼」と称するが、ここ数年の、たとえばサラリーマンや派遣労働者に対する企業の非情ぶり、開発のために切り崩された山や埋め立てられた海をみると、まさにそんなおぞましい表現がぴったりくる。

そして貨幣。貨幣とは一種の代用物であり、シンボルである。つまり、それそのものとしてはほとんど価値をもたず、代用物としての価値を賦与されているにすぎない。ところが、この貨幣(つまり「マネー」)そのものが取引の対象になり、いわば値段に値段がつけられるという事態になった。それが究極的な形態をとったのが、おそらくは金融工学であり、マネタリズムというものの本質だろう。

本書はカール・ポランニーの論文10編を編訳者が集めた一冊だ。個々の論文が書かれた時期は20世紀半ば頃。しかし、その内容はおそろしいほど現代の状況を言い当てている。それは同時に、ポランニーの発した警告がいかにこれまで無視されてきたか、ということでもある。

失業や派遣労働、過重労働や過労死。環境破壊や景観の破壊。「金が金を生む」金融工学やバブルやサブプライムローン。われわれは50年かけて、ポランニーの告発や予言が的を得ていたこと、社会をその内部に埋め込んだ経済がいかに非人間的で、無慈悲な「悪魔の挽臼」であるかを、身をもって証明し続けてきたのかもしれない。そこから脱却する糸口は、では、どこにあるのか。本書を読んでいて、ひとつ思いついたのは、やや手前味噌になるが「地域」であった。国家のレベルではなかなか難しいだろうから、地域のレベルでもう一度、経済を地域社会や共同体の内部に埋めなおすこと……おそらく、簡単にはいかないだろうが。