自治体職員の読書ノート

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【488冊目】アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

高校生くらいの頃だったか、一度読んだことはあったのだが、その時はそれほど印象に残らなかった。今回、新版が光文社古典新訳文庫で出たというのであらためて読み直してみたのだが・・・・・・いや、びっくりした。こんな内容だったのか。前に読んだ時には何を読んでいたんだろう。

人類より圧倒的にすぐれた科学力と知性を持った異星人の宇宙船が、突然地球上の大都市上空に浮かぶ。「オーヴァーロード」と呼ばれる彼らは、武力をいっさい用いぬまま人類を「統治」する。国家間の争いは姿を消し、科学水準の発達により知的労働を除く労働のいっさいからも解放され、これまでにない平和なユートピアが地球上に出現する。しかし、「オーヴァーロード」たちの目的が徐々に明らかになり、平和な日々は突然終わりを告げることになる。

人類より圧倒的にすぐれた知的存在、という設定が、まずいろいろなことを考えさせられる。思えばこれまでの「人類観」は、人類がもっとも(少なくとも知的には)優越した種族である、ということを前提に組み立てられている。本書の枠組みは、この前提を「オーヴァーロード」という具体的な存在を通じて揺さぶり、われわれよりすぐれた存在が現れたときにわれわれがどうするか、従順に従うか、無謀と知りつつ反抗を企てるかを描いた上で、それでも事実上、われわれに選択の余地がないことを知らしめる。そして、さらにオーヴァーロードより「上」の存在までもが暗示され、宇宙全体の圧倒的に巨大な底知れない思惑のフレームの中で、オーヴァーロードたちさえいわば「下っ端の使い走り」であること、圧倒的な種族上の審級が異なる中で、どんな種族もそのヒエラルキーに従うほかないこと、その中では「人類の尊厳」など爪の垢ほどの価値すらないことが次第に明らかになるのである。

舞台はほとんど地球上から動かず、ストーリー自体はきわめてシンプルである。しかし、秘められたテーマはおそろしく奥深い。地球上にいったんは成立する平和の裏側に存在するのは、宇宙的なヒエラルキーの絶対性と人類の圧倒的な卑小さであり、さらにその中で、著者は、にもかかわらず存在しうる「人類の意味」とは何かを探っているように思える。そして、そのひとつの回答が示されるとき、偉大で優越的に見えていたオーヴァーロードたちが、なんとも哀しい存在にみえてくる。