【2041冊目】エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
- 作者: エミリーブロンテ,Emily Bront¨e,小野寺健
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/02/09
- メディア: 文庫
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (14件) を見る
「世界の三大悲劇」「世界の十大小説」のひとつとされる超有名な作品。エミリー・ブロンテは、ほとんどこの小説一作で世界の文学史に名を遺した。
こんな有名な小説でありながら、実は最後まで読み切ったのは今回が初めて。以前ザセツした理由はよく覚えていないが、ロックウッドが「現在」のヒースクリフに出会う冒頭のシーンにあまり入っていけず、そのままになっていたのだったと思う(とはいっても、例えば『白鯨』の冒頭のかったるさに比べれば、今思えば何ということもないのだが)。そこを通り過ぎてネリーの語りの部分までたどり着ければ、後はラストまで一瀉千里、というところだったのだが。
すさまじい熱量と重厚な迫力で一気に読まされるが、さて、ではこの小説とはいったいなんだったのかと考えると、なかなか言葉にしがたいものがある。ヒースクリフとキャサリンという「魂の双生児」の暗い宿命か、それが子供たち、キャシーやヘアトンやリントンに影響していく因果の恐ろしさか。それとも全体をひっくるめて、これはすべてヒースクリフの復讐譚なのか。
それほどに、とにかく圧倒的な存在感を放っているのが、ヒースクリフ。復讐と欲望の権化となり、悪をなすことをものともしない。だがその「悪」は、神に対する悪魔、というよりは、人間そのものの本性に巣食っている類のものであるような気がする。本書はそんな人間の負の面に容赦なく光を当て、世俗性と暴力性の中に描き出しているのである。
そういえば本書では、ほとんど「神」が語られない。というより、ヒースクリフという「奴」は、そのような理想や理念では到底太刀打ちできないのである。アンチキリスト、それも世俗にまみれたアンチキリストを、ヒースクリフは体現しているのかもしれない。