自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【239冊目】田口ランディ「オクターヴ」

オクターヴ (ちくま文庫)

オクターヴ (ちくま文庫)

失踪した友人で天才的な音楽家ミツコを追ってバリ島を訪れた主人公マホの体験を描いている。最初、濃密で生命に満ちたバリ島の描写に圧倒される。特にバリの朝は感動的。朝を導き出すような動物たちの合唱。それがぴたりとやんだ瞬間、ジャングルの向こうから曙光が差す。すごい。その後もバリ島の「濃い」世界がずっと描写され、読んでいるだけでも熱気と湿度を感じるほど。

ミツコを探すことが目的かに見えたバリ島の旅だが、むしろマホ自身の「バリ体験」による変容が中心となる。マホは教育熱心な母親から絶対音感を体得させられ、3歳からピアノを弾いてきた。しかし音楽家になれるほどの才能はなく、音大は出たもののライター業をしている。ちなみに絶対音感とは単にすべての音がドレミで聞こえる才能とだけ思われがちだが、実は聞こえているドレミは1オクターブを均等に分割した「平均律」という人工的な音階であり、実際の(和声的な)音階とは違うことに注意しなければならない。いわば絶対音感で聞こえる「音」は一種の人口音階であり、それを通して音を聞くということは、自然の音に人工的なフィルタをかぶせているようなものなのである。この小説では、絶対音感は「絶対音感的なるもの」つまり人工的、文明的、科学的なものの見方のメタファーとなっているように思える。

絶対音感に「支配」されているマホは、またサリエリ的な嫉妬と憎悪にも支配されている。マホはバリで何度もそれに直面させられる。それはヒーリングとか癒しとかいわれるなまやさしい感覚ではない。特に、バリの魔術師との対話や、それに続くトランス体験の描写は圧巻。そこでマホが体験するのは、「世界は螺旋状のオクターヴである」こと。ドレミファソラシの1オクターブが螺旋階段のように積み重なっており、それぞれの人は下に下りていくことはできるが、自分の認識レベルより上、ある「シ」より上の「ド」に行くことはできない。それは「神の世界」であるという。そこに通ずるのが「ガムラン」というバリの楽器なのだという。それをマホは幻覚の中で実体験する。実際にバリ島でこういう世界観があるのかどうか知らないが、ものすごい深い世界観だと思う。何より世界と個人と音楽が一体となり、ガムランが神の世界をひらくというところに、音楽のもつ呪術性の底深さを感じさせられる。その意味で、この小説は一種の「音楽小説」であるといえるかもしれない。現実と夢が交錯し、神と魔術が存在する、幻想的で実に意味深な小説である。