自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【74冊目】宮本常一「忘れられた日本人」

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

西日本を中心に、日本の辺境の地で生きる庶民の声を丁寧に聴き取ったもので、日本民俗学の代表的著作とされている。全篇を通じて、戦前から戦後にかけてお年寄りの話が語り口調のまま採録してある。したがって、内容は彼らの若い頃、つまり江戸末期から明治頃の、歴史の表舞台にはまず登場しないような、山間や島嶼部に住む庶民の生活ぶりが中心となっている。

読む前は難しい本かと思って身構えていたが、読み出すと面白くてやめられなくなった。日本が近代化の中であるいは忘れ去り、あるいはそぎ落としてきたものが、ここには豊かに息づいている。夜這いや旅の話にみられるように、当時の社会は、今とは比べ物にならないほどおおらかで自由であり、同時に、寄り合いのような独自の意思決定プロセス、村のしきたりや長老の智恵・経験に頼ることによって、おのずから規律が保たれていた。まさに地方自治の理想郷が、当時の日本では各地に存在したのである。

本書に登場する村はいずれも決して裕福ではない。経済的には、当時と比べて確かに日本は豊かになったのだろう。しかし、その豊かさを手に入れる過程で、われわれはいかに多くのものを失ってきたことか。その失われたものの大きさと豊穣さを、本書はやわらかな語り口にくるんで、しっかりと読者に突きつけてくる。まさに古老の昔語りのごとく、読みやすいが深い示唆に満ちた名著である。