自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2150冊目】スティーヴン・キング『ジョイランド』

 

ジョイランド (文春文庫)

ジョイランド (文春文庫)

 



舞台は昔ながらの遊園地、ジョイランド。観覧車、メリーゴーラウンド、射的、着ぐるみのマスコット、そして幽霊屋敷。そこで働いた若き日の思い出と、幽霊屋敷で殺された女の子にまつわるミステリーが絡み合う。

キングの作品としては賛否両論あるようだが、個人的にはとてもいい話、いい小説だったのではないかと思う。なんといってもジョイランドで働く日々の描写がノスタルジック。ジョイランドには行ったことがない(当たり前だ)にもかかわらず、そこが懐かしい思い出の場所に見えてくる。まあ、ノスタルジアとはそういうものなのだが。

車椅子の少年マイクと、その母親アニーが良かった(その分、ラストはちょっとショックだった)。この手の小説には案外珍しいのだが、語り手でもある主人公も魅力的。ミステリー小説との触れ込みらしいが、むしろ私には(そういう分類があるとすれば)ブラッドベリの系譜を継ぐカーニバル小説の佳品と読めた。ちなみにミステリーとしては、次作『ミスター・メルセデス』が本格的なミステリー小説とのこと。読まねば。

 

 

【2149冊目】大崎善生『いつかの夏』

 

いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件

いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件

 

 
2007年夏に起きた「名古屋闇サイト殺人事件」。本書はその被害者の、わずか31年の生涯に焦点をあてた一冊だ。

犯罪そのものに着目した本は多いが、無名の被害者にここまで深入りした本はめずらしい。実際、「磯谷利恵」という名前は、関係者以外の人にとっては、この陰惨な事件の被害者として世の中に残っているだけだ。だが、彼女は決して「被害者」という記号ではない。それまでずっと、山あり谷ありの人生を歩んできた一人の人間なのだ。

本書はその31年間を丁寧に描写することで、奥行きのある生き方をしてきた人間として彼女を描くと同時に、その人生を無残に断ち切った犯罪の卑劣さを突きつけてくる。圧巻は、キャッシュカードの暗証番号を聞かれて彼女が答えた「2960」の意味。そこに磯谷利恵という女性の知性、愛情、信念、矜持、そして人間としての強さが、すべて込められている。涙なくして読めないとは、まさにこのことだ。

悲惨な結末を知っていても、彼女の人生を追うのをやめられない。そして、事件が残酷なものであればあるほど、被害者の平凡かつ唯一の人生が、かぎりなく輝いてみえてくる。こんな本を読ませてくれたことを、著者に感謝したくなる。こういう本は、めったにない。

【2148冊目】井手英策『18歳からの格差論』

 

18歳からの格差論

18歳からの格差論

 

 
著者の主張をわかりやすくまとめた一冊。イラストもふんだんに盛り込まれていてソフトなイメージだが、書かれていることはけっこうヘビーだ。

格差社会はなぜ生まれたのか。それは富の再分配がうまくいっていないからだ。では、そんな社会を誰が作り出したのか。政治家? 官僚? 企業家? いやいや、そうではない。この社会は、私たち自身が生み出したものなのだ。

再分配を行うには、税金を高くして、その税収を福祉や医療に回すしかない。だが、増税をすると選挙に負ける(実際に、消費税率アップをほのめかした民主党の菅政権は、その直後に支持率が急落、選挙に大敗した)。だから「自分が負担に苦しむくらいなら、貧しい人にはあきらめてもらう」という社会が生まれたのだ。

その理屈を正当化するため持ち出されるのが「まず無駄遣いをやめろ」「生活保護の不正受給をなんとかしろ」「公務員を削減しろ」という、いわば「支出を減らして帳尻をあわせろ」という議論である。だが、何が無駄遣いかの判断は人によって大きく違うし、生活保護の不正受給率は全体のわずか0.5%。人口に対する公務員の人数に至っては、日本は先進国で最低レベルである。それに対して、格差是正に必要な財源は兆単位。つまりこんな議論を繰り返しているだけでは、いつになっても格差社会はなくならない。

ではどうすればよいのだろうか。著者の処方箋は、増税を行うとともに、貧困層だけではなく中間所得層にも受益の対象を広げること。所得によって厳しくサービスの支給対象を絞るのではなく、むしろ「受益があるから税を負担しても良い」と思ってもらうことだ。つまり、今の政策とほぼ真逆の発想が、著者の考え方の根底にはあるのである。

もちろん、出てくるのはお金の話だけではない。経済的な格差以外にも、私たちの社会はさまざまなかたちで分断されている。目に見えない「分断線」をどうするか。社会の統合をどのような形でなしとげるか。賛成、反対いずれにせよ、まず知るべき基礎知識をわかりやすくまとめた、まさに18歳にふさわしい、社会の入り口に立った時に読むべき一冊である。

【2147冊目】松田青子『ワイルドフラワーの見えない一年』

 

ワイルドフラワーの見えない一年

ワイルドフラワーの見えない一年

 

 

これは小説? エッセイ? ショートショート? それとも散文詩? これまで読んだことのない、奇妙な味に満ちた作品集。

単なる不思議ワールドではない。そこには鋭いトゲがある。「ボンド」では、理想化されたボンドガールを現実に引きずりおろし、「あなたの好きな少女が嫌い」では、「細くて、可憐で、はかなげ」な、男にとって理想化された少女を痛烈に皮肉ってみせる。「男性ならではの感性」は、「女性ならではの感性」「女性ライター」「女性作家」など、「女性」を冠したコトバをすべて男性に裏返すことで、無自覚な差別意識をあぶりだす。

研ぎ澄まされた感覚と、それを表現する言語。異能の作家の紡ぐ、比類のない50編に、現代日本文学の極点を感じた。

【2146冊目】清水潔『「南京事件」を調査せよ』

 

「南京事件」を調査せよ

「南京事件」を調査せよ

 



この本には、2つの疑問に対する答えが書かれている。

 

ひとつは「南京事件とは何だったのか」。

 

もうひとつは「南京事件を「なかった」と主張する人がいるのは、なぜなのか」。


南京事件が厄介なのは、「何が本当なのか非常にわかりにくい」点だ。真偽の疑わしい資料が膨大に存在し、それゆえに「南京事件はなかった」という主張も出てくる。「資料が疑わしい」ことと「事件自体がなかった」ことは論理的にまったく整合しないのだが、なぜかこういう論法がこのテーマではまかり通っているのである。

そこで著者が立脚するのは、ジャーナリストの基本、一次資料だ。戦後に作成されたものではなく、戦争中につけられた日記、確度が高い写真、そして証言。とはいえ、77年前の事件であるから、証言を取るにも限界がある。本書が書かれたのは、まさにそのギリギリのタイミングだった。

そこから明らかになってくるのは、まぎれもなく南京における大虐殺が「存在した」ことだ。数多くの日記を符合させる中であぶりだされてくるその実相は、おぞましいの一言。だが、日本人はこのことを知らなければならない。責任を負うかどうか、謝罪すべきかどうかを論じる以前に、少なくとも史実として認識しなければならない。それは日本人としての責務であろう。

そして、本書でこのことと同じくらいのウェイトを割いて論じているのが、冒頭にあげたもうひとつの論点「なぜ、南京事件を否定したがる人が(たくさん)存在するのか」ということだ。

一般的に、「なかった」ことを証明するのは、「あった」ことを証明するより数段むずかしい。記録にはわざわざ「なかった」ことは書き残さないし、証人が「なかった」と言っても、それは「知らなかった」「見ていなかった」だけかもしれない。

いや、そもそも「なかった」と言い切る人がいること自体が不思議なのである。本当に知らなければ、「なかった」と断言することはかえって難しい。自分が知らなかっただけではないか、観なかっただけではないか、という疑問がよぎるはずだからだ。だから本書で証言している元海軍兵士は、このように言うのである。

「『なかった』と言うのは、本当は、あったことを知っているのだと思います。知っていて、それでも『なかったことにしたい人』が言っているんじゃないかと思います」(p.203)

 歴史の闇の深さを感じながらも、そこに一筋の光を投げかけた力作。