【2531冊目】チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』
読んでいて「これは私のことだ」と思える小説が、ときどきある。おそらく多くの女性にとって、本書の主人公キム・ジヨンの人生は、他人事には感じられないのではないか。
子どもの頃から、男の兄弟優先で育てられてきたこと。同じ会社に入っても、女性と男性で給料に違いがあること。バスでヘンな男につきまとわれても、遅くまで遠くの予備校に通うお前が悪い、と言われたこと(しかも父親から)。会社での(特に飲み会での)無神経なセクハラ発言。結婚しても、子どもができたら退職するのは当然のように自分であったこと。子どもを連れて喫茶店に行けば、隣席のサラリーマンに「ママ虫」と言われたこと・・・(「ママ虫」とは、育児をろくにせず遊びまわる母親への侮蔑語らしい)。
ひとつひとつを見れば、「気にするほどのことじゃない」「女性なら言われて当たり前のこと」と言われかねない、のかもしれない。しかし本人にとっては、そのひとつひとつが、確かに心の傷として積み重なる。その総量がコップから溢れ出したとき、キム・ジヨンの精神は壊れてしまう。本書が多くの読者、特に女性読者の心をつかんだのは、キム・ジヨンの負ってきた傷は自身が負ってきた傷であり、キム・ジヨンは私である、と確信できたからなのだろう。
本書を読んであらためて思ったのは、女性とは「マイノリティ」である、ということだ。ここでいうマイノリティとは、単なる人数の多い少ないではなく、「社会」や「国家」や「人間」と自分を同一視できない人々、ということだ(【2521冊目】荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』を参照)。国民の約半数を占めるにもかかわらず、女性は「外国人」や「障害者」や「被差別部落の人々」と同じような、社会や国家によって排除されてきた人々なのである。
私も含め、多くの男性はそのことに無自覚だ。だからこそ、本書のようにその「自覚のなさ」を正面から突きつけてくる本にはギョッとさせられ、目をそむけたい気分にさせられる。だが、それは「逃げ」である。本書は女性という「巨大なマイノリティ」からの、強烈で真摯な異議申し立ての書であり、男性中心社会がいかに彼女たちを精神的に「殺して」きたかを赤裸々に綴る告発の書なのだ。