自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2097冊目】櫻井武『食欲の科学』

 

食欲の科学 (ブルーバックス)

食欲の科学 (ブルーバックス)

 

 
食欲の科学と言われても、ピンとこない人も多いだろう。腹が減ったら食欲が増す。満腹になると食欲は減退する。ただそれだけのことじゃないの? と。だが本書によれば、食欲とはそんなに単純なモノじゃない。食欲とは脳全体が関わる複雑精妙な機能なのだ。

食べることそのものは、わたしたちの生そのものを維持する「原始的かつ根源的な行動」である。だが、ここでもう一つ考えておかなければならないのは、「たくさん食べる日」も「それほど食べない日」もあるにもかかわらず、わたしたちの体重が長い目で見ればそれほど変わらない、ということである。これを「体重の恒常性」という。

必要な栄養分を摂取しつつ体重を一定に保つには、「自分の体重をモニタリングするしくみ」と「それに応じて食欲をコントロールするしくみ」のふたつが、脳に備わっていなければならないことになる。本書はそのしくみがどのようにできあがっているかを解説した一冊なのだが、同時にそれがどのように「誤作動」するかについても明らかにしている。

だが、なぜ食欲は「誤作動」するのか。それは言うまでもなく、かつての人類も含めたほぼすべての生物にとって「飢えた状態」がデフォルトだったからだ。何万年(あるいはそれ以上)にわたってずっと飢餓に対応してきた生体システムが、わずか数十年で、いきなり「飽食の時代」に放り込まれたのである。つまり著者が本書の冒頭で書いているように「空腹のためではなく「おいしいから食べる」」という、生物史上例を見ない特殊な状態に、わたしたちは置かれているわけなのだ。

食欲ほどわたしたちに身近な「欲」はない。食欲ほどわたしたちを悩ませる「欲」はない。食欲ほど、わたしたちが生きるためには必要であるにもかかわらず、暴走して寿命を縮めてしまう危険をもった「欲」はない。にもかかわらず、そんな食欲が実のところどんなしくみで成り立っているのかを知っている人は、ほとんどいない。

本書はそんな疑問にわかりやすく答えてくれる秀逸な一冊だ。化学物質の名前が連発されるのには閉口するし、生物学と生理学の基礎的な知識は必要だが、それでもなんとか通して読むだけで、「食欲」という不可解な存在の正体がおぼろげながら見えてくる。奇しくも今は「食欲の秋」。秋の味覚を楽しむ前に、一度読んでおくとよい。