自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1960冊目】梅崎春生『桜島/日の果て/幻化』

 

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

 

 

大学在学中に書かれた処女作「風宴」、理不尽な軍隊生活をなまなましく描いた「桜島」、フィリピンを舞台に、軍医の射殺命令を受けた兵士の行動を綴った「日の果て」、そして戦後20年を経た<現在>を舞台に、精神を病んだ男の生の不安をえぐった「幻化」の4篇が収められている。

戦時中の鹿児島とフィリピンを舞台とした「桜島」「日の果て」が衝撃的だった。軍隊生活の理不尽さ、南洋の戦場の過酷さは、これまでさまざまな戦記や小説で読んできたが、実感レベルでここまで<刺さって>きたのは、たぶん本書が初めてだ(匹敵するとすれば、大岡昇平の作品ぐらいだろうか)。大上段から批判するのではなく、内側から発する言葉で、淡々と起きたことを語る。だがそれゆえに、かえって異様な迫力が全篇にみなぎっている。

まぎれもなく、そこにあるのは死と隣り合わせの日常である。毎日のように、簡単に人が死ぬ日々にあって、生きるとはどういうことか、という問いがギリギリの状況から突きつけられる。だが、思えばわれわれの生にしたって、本来は死と裏腹の関係にあるはずなのだ。戦場はそれを、ごまかしなく、抜き身の刀のように突きつけてくるだけなのである。

しかし、戦争が終わり<戦後>になると、目の前に見えていた<死>はどこかに追いやられ、死のみえない生が戻ってくる。そんな日常を生きる一人の男を描いたのが「幻化」である。この小説の主人公は、なんと精神病院を脱走して、そのまま飛行機に飛び乗ってしまった男なのである。

時ならぬ小旅行を楽しむ男の姿は、一見平穏で、特に事件らしい事件が起きるわけではない。だが、男の精神状態や、突然過去に引き戻される独特の展開の仕方が、小説全体にうすぐらい不安の影を落としている。それこそが著者の見た、死の見えない生の不気味さなのではないかと、私は読んでいて感じた。

生きるとは何か。そのことを切実に問い続けた小説であった。中でも印象に残ったのが、「桜島」の次のコトバ。これって、軍隊だけの特殊な話とは思えない。ためしに以下の「志願兵」「下士官」「兵曹長」云々を、「新入社員」「係長」「課長」と読み替えてみるとよい。

「志願兵でやって来る。油粕をしめ上げるようにしぼり上げられて、大事なものをなくしてしまう。下士官になる。その傾向に、ますます磨きをかける。そして善行章を三本も四本もつけて、やっと兵曹長です。やっとこれで生活ができる。女房を貰う。あとは特務少尉、中尉、と役が上っていくのを楽しみに、恩給の計算をしたり、退役後は佐世保の山の手に小さな家を建てて暮そうなどと空想してみたり。人間の、一番大切なものを失うことによって、そんな生活を確保するわけですね。思えば、こんな苛烈な人生ってありますか。人間を失って、生活を得る。そうまでしなくては、生きていけないのですか。だから御覧なさい。兵曹長たちを。手のつけられない俗物になってしまっているか、またはこちこちにひからびた人間になっているか、どちらかです」