【1927冊目】絲山秋子『沖で待つ』
文庫版で読んだ。芥川賞受賞作「沖で待つ」に「勤労感謝の日」「みなみのしまのぶんたろう」を併せた一冊。
「沖で待つ」は、著者自身の会社員時代をモデルにした作品らしい。同僚との会話やちょっとした会社組織のディテールの多くが著者の経験を下敷きにしているらしく、リアリティはあるが、そこから先に突き抜けるものはあまり感じない。「ですます調」に妙に安心させられた。
「勤労感謝の日」のほうが、パンチ力はある。こちらは会社員時代に(よんどころない事情があったとはいえ)上司をビール瓶で殴って退職に追い込まれた無職女性36歳のお見合いの話なのだが、とにかく毒が効きまくっている。なにしろ相手の男性が、顔は「あんパンの真ん中をグーで殴ったよう」で、最初の質問がスリーサイズで、自分を「会社大好き人間」と呼び、無職の相手に向かって「負け犬論ってどう思います?」って聞いちゃうのだから救いようがない。
だがこの短編で一番味があるのは、見合いをぶち壊して家に帰りづらくなった「私」が近所のさびれた飲み屋に行き、マスターとぼそぼそ話しながらお湯割りを飲むシーンである。このシーンだけでも、この作品のほうで芥川賞を取ってもよかったのではないか。
さて、芥川賞といえば、絶対に「受賞後」でなければ書けなかったであろう作品が「みなみのしまのぶんたろう」である。全篇ひらがな・カタカナだけという絵本のような文章にも驚いたが、主人公が「デンエンチョーフというまち」に住んで「ブンガクをやったり、ヨットにのったり、マツリゴトをしたり」しているしいはらぶんたろう、というくだりで爆笑。しかもこの「しいはらぶんたろう」が、あろうことか総理大臣の弁当を盗み食いして南の島に左遷されるというのだから笑ってしまう。
無邪気にみえて巧妙なパロディの中に、この「しいはらぶんたろう」のもつ人間としてのいやらしさ、不快さが実に的確に描写されているのがすばらしい。まあ、これほど私がウケてしまったのは、私自身がこの「しいはらぶんたろう」のような人物(誰がモデルとは言わないけど)が大嫌いだからなのだが。老害の代表選手のようなこの人物が、オリンピック招致などといういらんことをしたから、日本は余計な迷走を強いられているのである……おっと、これは余談。
いずれにせよ、本書から垣間見える絲山秋子という作家は、内側に相当どす黒いどろどろした情念をもっている人であると感じた。本書では毒舌やパロディと言うカタチで表にあらわれているが、これが今後どういうあらわれ方をしていくのか、楽しみに読み続けたい。