自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1924冊目】宮武外骨『アメリカ様』

 

アメリカ様 (ちくま学芸文庫)

アメリカ様 (ちくま学芸文庫)

 

 

「アメリカ様」「筆禍史」の2篇が収められている。タイトルにもなっている「アメリカ様」は、終戦間もない1946年に書かれたもの。戦時中の日本の気にくわなかったこと、軍閥戦争犯罪人言論弾圧のことなどをここぞとばかり叩きまくっているのだが、これだけ読むと、敗戦によって否定されたものを、あとになってから安全なところから批判しているような印象を持ってしまう。しかも、いちいち「アメリカ様」を持ちあげるのが鼻につく。例えば、こんな感じ。

「…これを思えば敗戦の結果、総聯合軍のポツダム会議で決定された我日本を民主化の平和国とするべき意図の実行で、代表的のアメリカ様が御出張、マックァーサー元帥の指導命令で日本の官僚、軍閥、財閥をたたき付けてくださる壮絶の快挙、これに加え、我国開闢以来、初めて言論の自由、何という仕合せ、何という幸福であろう。皆これ勝って下さったアメリカ様、日本を負けさせて下さったアメリカ様のお蔭として感謝せねばならぬ」

だが、おそらく、これはワザとやっているのである。だいたいかの宮武外骨、「筆のために禍を買って三度入獄」「通年四ヶ年余り獄中生活」「罰金刑十五、六回」「発売禁止印本差押二十回以上」の猛者が、こんな月並なアメリカ礼讃、戦後民主主義礼讃を書くとは思えない。

たぶん、外骨はつまらないのである。発禁と罰金と入獄をものともせず、命がけで筆をふるっていた頃の方が良かったと思っているのだ。「アメリカ様」のお蔭で享受できる言論の自由など、面白くもなんともないのである。だいたい、上の引用は次のようにつづくのだ。

「これは成るように成ったのだから、あきらめるのほかなし、いまさらグチを並べても追付かず、理窟を云っても何の効なし」

だからあえて外骨は、半ばやけっぱち、半ば皮肉で「アメリカ様」のもたらした自由と平和を持ちあげてみせているのだ。その裏側にあるのは、おそらく早くも始まった日本人のアメリカ追随の気配だと思う。戦前は軍部に追随した日本人が、戦後はアメリカに追随する。いったい日本人のなにが変わったというのだろうか。そう、外骨は言いたかったのではなかろうか。

そして、それはなんと戦後70年にわたって続くアメリカ追随、アメリカ盲従のはじまりだったのだ。アメリカ様こそは日本にとっての最高規範。憲法だろうが天皇だろうが、アメリカ様にはかなわない。戦力不保持を謳った憲法第9条を有する日本が、自衛隊という名の軍隊を早々に持たされたのはなぜか。唯一の被曝国である日本が原発を導入したのはなぜか。支持率が落ちようが憲法違反と叩かれようが、安倍政権が安保法制にこだわるのはなぜか。そう、すべては日本の真の支配者、アメリカ様のためである。国会前で反原発デモや反安保デモをいくらやっても政治が変わらないのはなぜか。永田町も霞が関も、視線は国民ではなく、ワシントンのほうしか見ていないからなのだ。

憲法は見えていても、「アメリカ様」は見えていない。そんなことでは、いくらデモをやっても空振りである。どうせなら、むしろアメリカ大使館か、いっそホワイトハウスで反安保デモをやったほうが効果的ではないだろうか。