【2398冊目】宮下志朗『モンテーニュ』
御多分に漏れず、『エセー』は途中で挫折した。「レーモン・スボンの弁護」の途中で止まってしまったのも、たぶん挫折派のマジョリティ。この本はそんな人のために書かれた「ありがたい」一冊。モンテーニュの生涯や『エセー』からの膨大な引用を織り交ぜつつ、その魅力をわかりやすくまとめてくれている。
もっとも、随筆というのは論文ではないのだから、そもそも「わかる、わからない」という読み方自体が違うのだろうと思う。あまりかしこまらず、パラパラと読んで、心に響いたポイントを頭の中で転がせばいいはず。それがなかなかできないのは、やはり「古典」というカンムリのせいだろうか。
本書は『エセー』中の名文句、名フレーズを的確にピックアップして散りばめてあるので、その意味ではこの本の魅力を真正面から味わうことができるといえるだろう。それは言い換えれば、モンテーニュの人間としての魅力ということでもあるように思う。
例えば「人間は自分の精神の自由を節約して使って、正当な場合でなければ、これを抵当に入れてはならない」(p.29)「われわれは、自分の配役をしっかり演じなくてはいけないが、その役を、借りものの人物として演じるべきだ」(p.33)といったフレーズは、勤め人なら多かれ少なかれ身につまされるのではないだろうか。
こうして自分自身の信念や価値観を守り続けてきたからこそ、「新大陸の住民たちには、野蛮で、未開なところはなにもないように思う」(p.146)といった、当時のヨーロッパでは考えられない先進的なセリフが出てくるのだろう。もちろん、その背景にはモンテーニュ自身の、自然重視の発想がある。「新大陸の住民たちは、人間精神による細工をほんの少ししか加えられておらず、いまだに、彼らの原初の素朴さときわめて近いところにいるために、あのように野蛮であるものと思われる」(p.151) これは本書でも指摘されている通り、ルソーであり、レヴィ=ストロースである。
自らの思索と書物の引用のみでこんなことが書けるということが、ちょっと信じがたい。死の直前まで推敲を繰り返していたというから、よほどの練磨と熟成があったのだろうが、私も含めて浅薄な思考をブログに書き散らしている連中は、やはり一度は『エセー』に学ぶべきなのだと思う。
セット版はこちら。オーソドックスな原二郎訳だが、いささか読みづらいかも。
私が読んだ(読んでいる)のはこっち。本書の著者、宮下氏による明晰な新訳で、全7巻。

- 作者: Michel de Montaigne,ミシェル・ドモンテーニュ,宮下志朗
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2005/10/01
- メディア: 単行本
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