自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1473冊目】スレンドラ・ヴァーマ『ゆかいな理科年表』

ゆかいな理科年表 (ちくま学芸文庫)

ゆかいな理科年表 (ちくま学芸文庫)

紀元前1700年の「π」から、2007年の「気候変動に関する政府間パネル」報告書提出まで。科学にまつわる「大発見・大発明・大流行・大インチキ」(本書紹介より)をすべて時系列に並び変え、ユーモアたっぷりに紹介してみせた一冊だ。

サイエンスは歴史の授業の中で教えるべきだ。本書を読んでいると、本気でそう確信する。教科書の中では無味乾燥な「正しい」説明として書かれている事柄が、本書で歴史の中の1エピソードとして取り上げられたとたん、血が通い、活き活きと脈動しはじめる。狂人を装った「光学」の創始者アルハゼン。ビール醸造所でつくられた炭酸水。架空のイタズラ記事が元で命名された単位「リットル」。台所で偶然生まれたニトロセルロース。たまたま手に付いた化合物が甘かったことから甘味料「サッカリン」を発見、大金持ちになったファールバーグ……。科学は歴史とくっついているのだ。

科学における「成功」と「失敗」が紙一重であることもよくわかる。実際、科学史とは「科学者の失敗」のオンパレードだ。「万物は水である」と言ったギリシア最初の哲学者タレス(紀元前580年頃)に始まり、メスマーの「動物磁気」(1775年)やガルの「骨相学」(1798年)など、当時は真実として信じられたにもかかわらず、後世になって偽りと判断されたものは、科学史をたどればわんさとある。

もっとも、タレスもメスマーもガルも、意図的にウソを言ったわけではない。むしろ当時の科学的知見の限界のなかで、科学者としての(タレスは哲学者だが)できる限りの思索と実践を通じて、こうした見解を導きだしたはずである。ところが後世から見ると、たとえばタレスと同時期(といっても半世紀ほどずれるが)のピタゴラスが「大地は丸い」と言い、ガルとほぼ同時期にジェンナーが種痘を行ったことと比べて、タレスやガルが「間違った」科学者であり、ピタゴラスやジェンナーが「正しい」科学者であるかのように感じられてしまう。

こういうのは、あまり良くないと思う。私に言わせれば、実際には両者の間にはたいした違いはないのである。特にジェンナーのワクチン接種なんて、結果によってはガルの骨相学以上に「非人道的行為」として非難されたかもしれないのだ。牛痘にかかった女性の腫れ物から液を採取し、それを8歳の子供に注射するなんて!

科学を「歴史」として学ぶ最大の効用は、今正しいとされていることが、本当に正しいとは限らない、ということを、骨身に沁みるレベルで感じることができるという点にある。本書は時系列の流れの中にそうしたエピソードが組み込まれているため、ごく自然にそのことに気づかされるのだ。

科学に絶対的真理はない。そのことは、本書の最後のほうのページで紹介されている最新の宇宙論地球温暖化論などにもあてはまる。政治や教育のレベルではある程度のところで「正しい」理論を固めておかなければならないが、科学のレベルにおいては、いかなる真実も未来に判断を留保された「仮留め」の回答でしかない。そのことを知っているかどうかが、科学者としてホンモノかどうかを見分ける最大のポイントなのだと思う。

ほかにも本書には、今では「常識」となった科学史上の発見や発明が、その当初はどれほど意外で珍妙きわまるものだったかが良く分かるエピソードがたっぷり盛り込まれている。科学者自身の奇人変人ぶりも含めて、エンターテインメントとしての科学を楽しむための入口がここにある。

見開き2ページで全部のテーマが語られているため、複雑なテーマを理解するには情報不足はいなめないところだが、なに、理解するなら別の入門書がいくらでもある。本書の魅力は、とにかく科学が人間味とユーモアに満ちた分野である、というその一語に尽きる。

理科嫌い、科学嫌いの人にこそ読ませたい一冊。