自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1471冊目】デヴィッド・ギルモア『父と息子のフィルム・クラブ』

父と息子のフィルム・クラブ

父と息子のフィルム・クラブ

面白くも切実な本だった。子どもをもつ親なら、たぶん誰もがそう感じるのではないだろうか。

子育てに正解はない。分かっていながら、わたしたちはマニュアルを求め、「正しいやり方」を探してしまう。だが「どこかにある正解」を探すだけでは、親業は到底つとまらない。最近やっと、そのことが薄々わかってきた。

どこかの段階で親は、自分の全経験と全人格を総動員させ、自分の存在をかけて子どもに向き合わなければならないのだ。ウチの子どもはまだ小3と小1だが、そういう「真剣勝負」の瞬間、逃げも隠れもできない瞬間がそのうちやってくるという予感はしている。

本書の著者、デヴィッド・ギルモアのもとに「その機会」がやってきたのは、もうすぐ16歳になる息子のジェシーが「学校になんか、もう二度といきたくないんだ」と言った瞬間だった。著者はその時、真剣勝負の覚悟を固めたのだと思う。出来あいのマニュアルにも昔ながらの伝統にも頼らず、著者にしかできない方法で息子と「向き合う」ことを決めたのだ。

いや、むしろ「向き合う」というより「並んで同じ方向を見る」と言ったほうが正確だろう。なにしろ、ギルモアが息子に出した条件はただ2つ。「麻薬はやらない」「週に3本、一緒に映画を見る」ということだったのだから。

こうして3年間にわたる、世にも奇妙な二人きりのフィルム・クラブが始まるのだ。トリュフォーの『大人は判ってくれない』にはじまり、『市民ケーン』『甘い生活』『波止場』『欲望という名の電車』『ローマの休日』『ジャイアンツ』『ラスト・タンゴ・イン・パリ』『激突!』『サイコ』『エクソシスト』『シャイニング』『レオン』『氷の微笑』『クイズ・ショウ』『ダーティハリー2』等等々、往年の名画から近年の名作、知られざる傑作から信じられないような駄作、フェリーニエリア・カザンにクローネンバーグにスピルバーグに、ロマンスにサスペンスにホラーにヌーヴェル・ヴァーグに……

著者が息子といっしょに観た映画の本数、セレクションの幅広さはべらぼうだ。なにしろこのデヴィッド・ギルモア、本職が映画評論家なのである。ギルモアはまさに、自分のできる掛け値なしの最大の教育を、息子に施したことになる。

そんな父だからこそ、映画に対する視点、監督や俳優に対する見方は実におもしろい。ほとんどの映画について、父はその鑑賞のポイント(映画史上の位置づけ、見逃してはならないシーン、歴史に残るセリフなど)を事前に説明しているのだが、これが実にすばらしいのだ。映画鑑賞の手引き本としても、本書は十分にお値打ちの一冊であろう。

だが本書の「本領」は、やはり父と息子のドラマにある。息子の恋愛と失恋、ドラッグ(結局ジェシーはコカインに手を出してしまう)、そして就職など、思春期ならではの疾風怒濤に対して、父は映画と言うフィルターを通しつつ、自らの人生経験を総動員してアドバイスする。息子との距離感に戸惑いつつ、父もまた親として経験を積み、成長しているのがうかがえる。本書は息子ジェシーの成長譚であると同時に、父デヴィッドの変化の記録でもあるのである。

本書のラストはなかなか感動的だ。3年間にわたる「フィルム・クラブ」は、無駄には終わらなかったようにも思える。だがそもそも、繰り返しになるが、子育てには正解はない。本当にフィルム・クラブがジェシーにとって必要だったのか、あるいは無益だったのか、その真実は決してわからない。

だが本書の最後で、ジェシーが家を去った後、息子の部屋のベッドに座って父デヴィッドはこう書いている。この実感こそが真実であろう。そして、それで十分なのではないかと、私などは思ってしまうのだ。

ジェシーはもう二度とあのときのままでもどってくることはあるまい。これから先は一人の客としてもどってくるのだ。それにしても、普通なら両親を締めだしにかかる年齢の若者と過ごしたあの三年間は、何と奇妙で奇跡的な、思いがけない贈り物だったことだろう」(p.242)

考えてみれば私自身、子どもたちにいろいろ伝えたり教えたりしているつもりでも、実はそれ以上の贈り物を子どもたちから、あるいは一緒に過ごしたかけがえのない時間から、貰っているはずなのだ。そのことに気付かされたというだけでも、この本は収穫だったように思う。

どんな家族でも、どんな親子でも、そこだけの「フィルム・クラブ」があるはずなのだ。ただ私たちは、そのことに気づきもしないまま二度と来ない時間をやり過ごし、後になって追憶とともに愕然とするのである。その時私は、ジェシーの父デヴィッドのように、やるべきことをやりきった、幸福な時間としてその時のことを思い出すことができるだろうか……?