自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1453冊目】ダン・ガードナー『リスクにあなたは騙される』

リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

大震災と原発事故は、リスクというものについてずいぶん考えさせてくれた。

「1000年に一度」の津波にどこまで備えるべきか。水や食料品への放射能の影響をどう考えるべきか。原発再稼働「する」リスクと「しない」リスクをいったいどう計量すればいいのか。

政府やら学者やら「東京電力」やらジャーナリストやらの、いろんな「専門家」が、正解らしきものをそれぞれに言い募っている。それを聞いていると、皮肉なことに「正解がない」ことが唯一の正解であると気づく。ただひとつだけ言えるのは、われわれは、「リスク」という厄介な存在との付き合い方を、もっともっと知らなければならないということだ。

本書は、そのためのいろんなヒントを与えてくれる一冊だ。本書には、311は(刊行の方が前なのだから当然)出てこないが、911は登場する。あの日のテロ攻撃は3,000人近くの命を奪った。それからしばらくの間、多くの人が飛行機に乗るのをやめて、車で移動するようになった……飛行機でハイジャックに遭うより、自動車事故に遭う可能性のほうがはるかに高いにもかかわらず。

「米国のある教授の計算によれば、テロリストが一週間に一機のジェット旅客機を米国内でハイジャックし激突させたとしても、一年間毎月一回飛行機を利用する人がハイジャックで死ぬ確率は、わずか一三万五〇〇〇分の一であり、車の衝突で死ぬ年間の確率六〇〇〇分の一と比べれば些細な危険率と言える」(p.10)

実際、飛行機から車への切り替えの結果、車の衝突で死亡した米国人の人数は1595人と算定されているという。著者は、彼らの命を奪ったのは「恐怖」であったと考え、そのメカニズムを詳細に分析してみせた。本書にはその成果がぎっしりと詰め込まれている。

3つの要素が関係している。第一に。第二にメディア。第三に、恐怖を掻き立てることに利害関係のある多くの個人や組織(p.446)。このうち脳については、著者はその働きを「理性(頭)」「感情(腹)」に分けた上で、人間はどうしても頭で計算した確率論よりも「危険な感じ」を重視してしまうと指摘する。なぜなら、人間の進化の歴史のほとんどにあっては、簡単な経験則に基づくすばやい判断のほうが、じっくり考えて正確な結論を出すより重要だったからだ。

「システム・ワンあるいは「腹」は無意識の思考であり、その特徴となる性質は速さである。「腹」は、背の高い草むらで何かが動いているときに何をすべきかを理解するのに百科事典を必要としない。すぐに警報を鳴らす。胃がうずく。心臓が鼓動を少し速める。目が狙いを定める」(p.44)

しかし、現代のようにリスクが複雑化し、さらにメディアの発展によってさまざまな情報が大量に飛び込んでくる状況では、こうした「腹」システムはなかなかうまく働かない。しかもメディア自身、「よくあること」よりも「めったにないこと」ばかりを伝え、あたかもそうした極端な事例ばかりで世の中が満ちているような印象を与える。もちろん「理性」は、そんなことはないと分かっている。だが「感情(腹)」は別である。

そして、そこに利益や利権が加わる。戦争を遂行したい政府の思惑や、セキュリティ市場で売上を上げたいメーカーは「意図的に」恐怖を煽りにかかる。本書には「5万人の小児性愛者」がネット上をうろついていると警告するインターネット・セキュリティの会社から、「テロの脅威」を煽りたててイラク侵攻に結びつけたブッシュ政権までが取り上げられている。

もっとも、本書の言うような、すべて「確率論」で合理的な行動が決まるという発想が、どんな場合にも妥当といえるかは、また別問題だと思う。もちろんリスク判断を誤らせるような報道や「煽り」は論外だが、基本的な考え方としては、加藤尚武災害論』にあったような「損害には確率の大小にかかわらず「人間として許容できないレベル」がある」という指摘についても、リスク論に組み込んでいく必要があると思うのだ。本書は感情に基づく判断の不合理さを強調するあまり、いささか「確率論万能主義」に陥っているのではなかろうか。

むしろ本書の主張の中では「リスクが避けられないことを受け入れる」(p.369)必要性のほうに、うなずけるものがあった。そもそもわずかな可能性であってもリスクを避けようとする発想の根底には、すべてのリスクは避けられるし、避けるべきだという思い込みがあるのではないだろうか。

もちろん簡単に避けられるものは避けるべきだろうが、あまり安直にリスクを遠ざけてばかりいると、より大きなリスクを招来することにもなりかねない。特に「危険性が判断できないものについては危険とみなして回避すべき」という、いわゆる「予防原則」に対しては、「一部のリスクに細心の注意を払い、ほかのリスクを無視することによって、複数のリスクのあいだでどれを選択するかというジレンマがなくなってしまうことが非常に多い」(p.367)というキャス・サンスタインの言葉を引いて批判している。傾聴すべき指摘であろう。

著者は「今ほど良い時代はない」と言う。マット・リドレーあたりを思わせる楽観的なセリフだが、分からなくもない。ただ情報が氾濫し、リスク要因が複雑・複合化した現代に生きることは、基本的に「感情の動物」であるわれわれには、生物学レベルでかなり難しいことになってしまっている、ということは言えるだろう。結局、繰り返しになるが、われわれはいろいろなリスクとうまく「付き合っていく」しかないということなのだ。

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