自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1052冊目】ラングドン・ウィナー『鯨と原子炉』

鯨と原子炉―技術の限界を求めて

鯨と原子炉―技術の限界を求めて

原発がらみというよりは、原子力を含む科学技術全般について考える一冊。サブタイトルの「技術の限界を求めて」が、むしろピンポイントで本書の内容を言い表している。

技術の進歩が一方的に「良いこと」「素晴らしいこと」であると思っている人は、おそらく現代社会ではほとんどいないだろう。原子力にせよ、情報技術にせよ、あるいは自動車や飛行機にせよ、技術の進歩には功罪両面があると認識している人が大多数ではないかと思う。

しかし、そうは分かっていても振り回されてしまうのが科学技術というものだ。そもそも、個々の科学技術はすべてわれわれの社会の中から生まれてくるが、いったん生まれてくると、今度は「生みの親」である社会そのもののあり方を変えてしまう力をもっている。自動車や携帯電話、インターネットを考えてみれば、そのことは明らかだ。しかも、その変化は必ずしも望ましい方向に起きているとは限らない。

にもかかわらず、われわれにはこうした変化に対して、ほとんど「拒否権」が残されていない。考えてみればこれはずいぶん理不尽なハナシである。どこかの誰かがある技術を発明し、それが製品化されて発売される。それが普及すると、今度は社会システム全体がそれにあわせて否応なく変化させられる。

しかも、科学技術の中には危険を伴うものもたくさん存在する(原子力なんかは典型的だ)。しかし、その危険は「リスク」という指数に置きかえられ、計量化され、「ベネフィット」との釣り合いのもとで判定され、ベネフィットのほうが上回れば導入される。しかもその判断は、得てして導入者である企業側、開発側に偏ったものになりやすく、弊害が出てから消費者団体などから問題提起され、物議をかもす。法律などの規制はいつも後追いだ。

だが、そもそも危険を「リスク」として計量化し、ベネフィットとの天秤にかけること自体、はたして適切なのか。科学技術とわれわれ人間との関係は、はたして今のままで良いのだろうか。本書はそのことをさまざまな角度から考察するものであり、昨今の原発問題、あるいは遺伝子組み換え食品や環境ホルモン問題などを考える際に必須の「考え方の土台」を示す一冊。

とはいえ、本書自体はこうした難題に明確な「答え」を出す本ではない。むしろ、科学技術と人間社会について考えるときに陥りがちなトラップ(合理性、利害得失、自然回帰、リスク……)をひとつひとつ取り上げて丁寧に論証し、議論のための交通整理を試みているというべきかもしれない。文章がイマイチ読みにくくてすっと入ってこないのが難点だが(訳者あとがきを読むと、どうやら原文自体が難解なものらしいので仕方ないか)、過剰な「安全宣言」とマスメディアの恐怖心をあおる報道に引き裂かれている原発問題などについて、目先の効率論や極端な自然回帰思想に陥ることなく、科学技術と人間の関係という根本的なところからラディカルに考えるためには、なかなかよく効く一冊。また、日本の「変わり目」にいるわれわれにとって、今後の方向性をさぐるためにも、本書の議論はたいへん役に立つと思われる。