自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1452冊目】倉田卓次『続裁判官の書斎』

続 裁判官の書斎

続 裁判官の書斎

以前読んだ『裁判官の書斎』の続編……といっても、著者がいろんなところに書いた文章を集めたものであって、独立したエッセイ集として楽しめる。

書評から追悼文、法律家向けのアドバイス的なものから軽いエッセイまで、収められている文章はいろいろだが、こういうブログをやっている身としては、やはり第一部の書評パートに圧倒された。

法曹志望者向けの雑誌「アーティクル」に掲載された文章らしいが、取り上げられている書籍は実に幅広い。滝川政次郎『日本法律夜話』やジェローム・フランク『裁かれる裁判所』など「いかにも」な選書から、幸田露伴『運命』やオマル・ハイヤーム『ルバイヤード』(本書では『ルバイヤット』)などの古典、さらにはロバート・L・フォワード『竜の卵』のような本格SF(著者はかなりハードコアなSFマニアでもある)があるかと思えば、金関丈夫『木馬と石牛』のような変わり種のオモシロ本まで、ただ「広い」だけでなく、相当の「本の目利き」でないと選ぶことすらできないような本がずらりと並んでいる。

のみならず、それぞれの本に対する評価の仕方が実にすばらしい。具体例をピンポイントで挙げるのが難しいのでぜひ本書にあたっていただきたいのだが、内容の紹介も手際が良いし、何より評価する著者自身の存在がしっかりと感じられる。こういう書評というのは、プロになればなるほど、なかなかあるものではない。かといってアマチュア書評かといえば、その域ははるかに脱している。とんでもない水準の高さなのだ。

わが「読書ノート」にとってこの人の書評は、目標というのもおこがましい、はるかかなたで輝いて航路を示す北極星のような存在なのだが、ではどうすればそういう読み方ができるのか、という種明かしの一端を試みているのが、著者自身の読書法を開陳した第二部だ。

「本を汚して読む」「何冊もの本を並行して読む」など、どこかで聞いたような気がする読書法であるが、裁判官という多忙を極める職業に就きながらこれほどの読書の質と量を保っているだけに、説得力がハンパではない。だが、こうしたメソッド的な部分以上に著者の「読書力」の凄まじさを思い知らされるのが、それに続く「翻訳の読み比べ」のくだりである。

ここで何が披露されているかというと、なんと同じ古典の翻訳を複数比較しているのだ。それも『水滸伝』から『菜根譚』、『論語』に『ラ・ロシュフコー箴言集』まで、それぞれ4つほどの翻訳を並べて論じている。

確かにこうやって並べてみると、同じ文章でここまで訳文が違うかと思わされるのだが、いやいやそれ以前に、こういうカタチで比較をするには、ひとつひとつのフレーズに対して相当丹念に、詳細に訳文を読みこみ、場合によっては原文とも比べないといけないはずだ。くどいようだが、公判と起案に追いまくられる裁判官生活の中で、いったいいつ、そんな作業をやっているのだろうか。

今まで私は、自分をアマチュアの読書家だと思っていたが、こういうのを読むと、いやはや私ごときは「アマチュア以下」にすぎないのだなあ、と素直に思わされる。まったくもって、読書の道は奥が深く、その頂ははるかに高い。