【1143冊目】リチャード・ドーキンス『遺伝子の川』
- 作者: リチャード・ドーキンス,Richard Dawkins,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 1995/11
- メディア: 単行本
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ドーキンスの本を読むのは、実は本書がはじめて。「利己的な遺伝子」という言葉は知っていたが、非常に論争的な人というイメージがあって、なんとなく手に取りにくかった。しかし、読んでみると案外スラスラ……とまではいかないが、わりと内容に乗れたので一安心。
「遺伝子の川」というタイトルが、そのまま本書の内容をよく表している。遺伝子の流れは分岐をくりかえす川のごときものである、と著者は言う。一つ一つの川の流れは個々の「種」に対応する。かつては同じ種に属していたとしても、ひとたびその流れが分かれてしまえば、下流でそれが再び混じりあうことはない。
なかなか巧みなたとえだが(本書を読んでいちばん驚いたのは、ドーキンスの使う「たとえ」の上手さだった。スバラシイ)、加えて興味深いのは、それが「デジタル」の流れであるという点だ。つまり、遺伝子とはデータの集積であり、情報のカタマリなのだ。
「精神につき動かされた生命力もなければ、どきどきと脈打ち、上下にゆれて群がる、原形質の神秘なゼリーなどもない。生命はディジタルな情報のバイト、バイト、バイトにすぎないのだ」(p.35)
この、まさにデジタルな「割り切り」が、良くも悪くも著者の特徴であり、場合によっては叩かれるゆえんなのだろう。実際、本書ではあらゆる場面で、生命に対する人間の情緒や思い入れは徹底的に排除されている。その極点が、「生命はDNAの乗り物である」というあの有名なテーゼなのである。
ドーキンスは決して、情緒や擬人化や、安易な「神の意志」に逃げない。そのストイックなまでに論理的で冷徹な文章は、読む側を辟易させることもあるかもしれないが、一方では「突き詰める」ことのすごみのようなものを感じさせる。科学とはかくあるべき、という言葉がその向こうから聞こえてくる。
たとえば、ある種の生物が個を犠牲にして種全体を繁栄させるような現象がみられることがある。そうした現象は時として美化され、人によってはその背後にある種の「神の意志」を読み込むかもしれない。だが、著者はこう言い放つのだ。
「たしかに、遺伝子が生体レベルでの非利己的な協力やときには自己犠牲をプログラミングすることによって、遺伝子レベルでの利己的な繁栄を最大化する場合もある。だが、集団の幸福とは偶然の結果であって、それを追求するのが本質なのではない。これが「利己的な遺伝子」という言葉の意味である」(p.178)
なお付け加えておくと、「利己的な遺伝子」と呼ぶからといって、遺伝子に意志やエゴを読み込むのは間違っている。遺伝子そのものは何も知らず、何も考えず、「ただ存在するのみ」(p.194)なのだ。それが「偶然にも」遺伝子自身のコピーを増やすことを最優先とするような機能をもつに至ったからこそ、結果的に生命もまた存続しているのである。そのための仕組みがどんなに精巧で、どんなに複雑で、どんなに美しいものであったとしても・・・・・・。