【1076冊目】インドラ・シンハ『アニマルズ・ピープル』
- 作者: インドラシンハ,荒井良二,谷崎由依
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/03/25
- メディア: 単行本
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読みながら、3つの本(著者)を思い出していた。
1冊目は、沙藤一樹『D−ブリッジ・テープ』。テープに吹き込まれた声という設定、その声の主が「D−ブリッジ」ではゴミ捨て場の少年、本書ではインドのスラム街の少年という点が相似形だ。しかし、「D−ブリッジ」がどちらかというと発想と切れ味で勝負する短編だったのに対し、本書は500頁近い長編で、内容も登場人物も、当然ながらはるかに幅が広い。
2冊目は、石井光太『絶対貧困』その他のアジア貧困ルポ系書籍。本書の舞台であるインドの架空の町カウフプールのスラムの惨状、語り手である「おれ」が後に書く化学工場の事故のため「四つ足」で歩く生活を送り、「動物」と自ら名乗っているところ、そしてその周囲の人々の、救いの要素の見当たらない貧しい生活が、まさにスラムにおける「リアル」であることを、私は石井氏の著作によってすでに知っていた。
さらに、それが憐みを誘うお涙頂戴になっていないところも、同じ。石井氏の描写するスラムの人々は確かに貧しいが、それはべたついたウェットな悲惨さとはちょっと違う。むしろ、悲惨さがある臨界点を超えてしまっているとき特有の、ある種の乾いた明るさが漂っているのだ。本書の主人公である「動物」にしても、人々が向ける憐みの目や言葉こそを、何より手厳しく拒否している。
そして3冊目、石牟礼道子の『苦海浄土』三部作。水俣では、チッソが海に垂れ流した水銀によって、多くの人々が亡くなり、あるいはすさまじい障害に一生苦しめられた。そんな人々の生に根差したことばを丁寧に丁寧に掬いあげ、ある種の聖性を帯びたコトダマの響きを与えたのが『苦海浄土』であった。
一方、本書は小説ではあるが、その背景には実際に起きた事件がある。アメリカの多国籍企業ユニオンカーバイドが、インドの都市ボーパールで起こした化学工場事故だ。有毒なガスが一夜にして都市を覆い、罪のない人々が数万人単位で犠牲になった。障害を負った人々も数十万の単位にのぼるとされている。しかも信じがたいことに、本書の「訳者あとがき」によれば、1984年に起きたこの事件では、いまだに現地の汚染は浄化されず、被害者への補償すら十分になされていない。
本書はその惨状を、都市名をボーパールからカウフプール、社名をユニオンカーバイドからカンパニと変えただけで、ほぼそのまま読者の目にさらしてみせた。しかも、その語り手は自らも被害者となり、直立歩行ができなくなった主人公「動物」だ。そして、こうした手法を採ることで、本書はインドのスラムに生きる人々の日々の言葉をそのまま使い、その響きを小説の中に残響させてみせている。お見事、お見事。
さらに、そのことによって本書は単なる社会派の告発小説にとどまらず、まさしく「地表45センチからの目線」で書かれた物語となりえたのだ。石牟礼道子が、やはり水俣の漁民のことばを作品中に響かせ、類例のない「鎮魂の歌」をかきならしたように。
しかもこの小説、悲痛でありながらも、物語としてたいへんおもしろい。登場人物も「動物」をはじめ強烈で個性的。「カンパニ」とカウフプールの人々との戦いを縦軸に、四つん這いで生活する「動物」の成長譚と青春物語を横軸に、重いテーマを一気に読ませる。このインドラ・シンハという人、本書が長編2作目だという。凄い作家があらわれたものである。