自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【896冊目】大内田鶴子・熊田俊郎・小山騰・藤田弘夫編『神田神保町とヘイ・オン・ワイ』

神田神保町とヘイ・オン・ワイ―古書とまちづくりの比較社会学

神田神保町とヘイ・オン・ワイ―古書とまちづくりの比較社会学

ウェールズのヘイ・オン・ワイと東京神田の神保町。この「古書の町」の東西二大横綱を取り上げ、比較することを通じて、古書をつかったまちづくりの可能性を探る一冊。

ヘイ・オン・ワイについては以前、仕掛け人となったリチャード・ブースの自伝を読んだ(877冊目)が、本書は外から見たヘイ・オン・ワイの発展と内実を伝えている。自伝を読んだ時にも感じたが、ブースは実際、相当エキセントリックな「変わり者」であるらしい(もっとも、それくらいでなければ、もともと古書とは縁もゆかりもなかったウェールズの田舎町を、世界に名だたる古書の町に変えることも、それを模範として世界中に「古書の町」が広がることもなかっただろう)。そのため、ブースは現在のヘイ・オン・ワイでは締め出され、つまはじきにされ、今やこの町は、ブースとは関係のないところで発展しているという。確かに、そこで生活を営み、実際に商売をする人にとっては、それは現実的な選択だし、しょうがないことなのだろう。しかし、現在のヘイ・オン・ワイが古書の町として世界中の古書好きや観光客を集めるようになったきっかけをつくったのはブースの猪突猛進であったことを思うと、こうした「熱狂の人」の報われなさに悲哀を感じてしまう。

一方、身近な存在ながら知らないことばかりで、たいへん面白かったのが「神田神保町」についての記述であった(本書はおおむね、前半がヘイ・オン・ワイを中心とした西洋圏のブックタウン、後半が神保町を中心とした日本国内のブックタウンを取り上げている)。そもそも、その成り立ちからして両者は大きく異なり、ヘイ・オン・ワイがブースという強烈な人物によって、いわば人為的に「古書の町」となったのに対して、神保町は自然発生的に古書店が集まって現在のかたちになったのであって、行政などの意図がまったくかんでいないという。

元々、印刷・出版関係の会社がこの地域に集中していたこと、大学が近いことなど、一般的に古書店が多く集まりやすい要因はあったのだろうが、ある程度の集積がなされると、スパイラル的に「集積が集積を呼ぶ」という現象が起きてくる。東京都大田区大阪府東大阪市などでの製造業の集積、合羽橋などでの同業問屋の集積などとも、働いているメカニズムはおそらく同じだろう。そして、面白いことに、集まってきた古書店の間で見られるのは「競争」より「協力」関係であるという。これも大田区の工場などで見られるパターンとよく似ている。

工場の場合、お互いに異なる部品を製造するため競合関係が起こりにくく(しかもものすごく細分化されている)、かえって、ある工場で必要な部品を隣近所の工場に依頼するという、よい意味で「もちつもたれつ」の構造が存在している。古書店でも事情は似ており、専門分野がそれぞれ異なるため競合関係が起こりづらい(西洋史専門の店と自然科学専門の店とミステリ・ハードボイルド専門の店が客を食い合うとは考えられない)。むしろ、自分の専門外の分野の書籍が持ち込まれたような場合、相互の専門性をいわば「融通」しあうことにより、やはりもちつもたれつの協力関係が生じているという。傍から見ていると、古書店同士がお互いにしのぎを削っているというふうにも見えるが、実は内部で働いているのは真逆の原理である、というところがなかなかに示唆的である。

そして、こうした関係というのは、いわゆる企業間の関係というよりはコミュニティ的な関係に近い。実際、神保町では地域コミュニティがきわめて濃密で、古書店ビジネスもその関係の網の目の中で行われている。いわば、ここでは社会の中に市場があり、地域共同体の中に企業がある。グローバリズムが世界中を席巻し、市場が社会や共同体をどんどん呑みこみ、解体しつつある中で、このような「まち」が存在することの意義は大きい。ちなみに、ヘイ・オン・ワイのブースもスーパーマーケットの進出による地域商店街の衰退を嘆き、巨大資本進出への抵抗原理として「古書のまちづくり」に取り組んでいた。

古書によるまちづくりという方法がどれほどの普遍性をもちうるのかよくわからないが、もし可能であるとしても、それが単なる「古書ビジネスのウォール街」をつくることにとどまってしまうとしたら残念だ。むしろ、地域の古書店という商売がもっている、文化や社会、コミュニティの維持機能を再評価し、まちづくりを通してそうした機能を発揮できるような環境を整えることに、「古書のまちづくり」の意義はあるように思う。そんなことを感じた一冊であった。なお、本書はヘイ・オン・ワイと神保町、他にも「不忍ブックストリート」「西荻ブックマーク」などの新たな地域の試みを取り上げており、巻末には神保町古書店主のインタビュー「古本屋の生の声」がある。ちなみにこのインタビュー、古本屋の裏事情をうかがわせるもので、大変おもしろい(古書店主には世襲が多い、というのがちょっと意外だった)。