【818冊目】鎌田東二『神と仏の出逢う国』
- 作者: 鎌田東二
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2009/09/10
- メディア: 単行本
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今後、またぞろ読書の対象が特定の分野に偏ることになりそうだ。今度のテーマは「日本」。だいたい今月から来月前半くらいの間、日本に関連する本を集中的に読んでいこうかと思っている。あまりにも自分の国について知らなすぎることを、最近かなりヤバいと思い始めているので。
さて、本書は「神道」と「仏教」の関わり合いを軸に、日本の宗教の歴史を通観する一冊。そもそも、日本は神神習合の国であった。「神(カミ)」という言葉の意味するところは「その存在への最大の敬意の表現」であり、畏怖や敬意をもって祀ることによって、樹木だろうが石だろうが、あるいは雷や地震などの自然現象だろうが、さらには実在の人間であろうが、あらゆるものが「カミ」になる。したがって、日本の神々は多種多様・複雑怪奇・変幻自在。そのことがまず、日本人の宗教観の出発点となる。
こうした考え方からすると、Aという神を敬うことが、別のBという神を排斥する理由にはならない。神のリストは追加自由なのだ。それが「神神習合」だ。そして、仏教が入ってきたのは、こうした宗教観をもつ日本だったのだ。
もちろん、入ってくる際にはいろいろ軋轢もあった。蘇我氏と物部氏の争いや、聖徳太子が仏教を擁護し、国家統治の軸に据えたことは有名だ。だがその後は、仏教と世俗の信仰はお互いを排除することなく共存し、後世、修験道のような一種のハイブリッド的宗教をも生みだした。いわゆる「神仏習合」であるが、これは元々の「神神習合」の一種のバリエーションであった。
その後も仏教と神道は、歴史の荒波の中でみずからも変化し続けはしたものの、基本的には習合関係を保ったまま江戸時代まできた。それを人工的に断ち切ったのが明治政府の「神仏分離」「廃仏毀釈」であった。神道は「国家の祭祀」として位置付けられ、天皇制を支える思想的バックボーンとなる一方、仏教は強引に神道と分離される。その後、戦後に至って象徴天皇制への転換がなされ、国家神道の位置づけも大きく変わるが、仏教とのつながりは絶たれたままとなっている。
本書はこうした歴史の流れを明快に描き出すとともに、神道・仏教それぞれの特質と歴史をわかりやすく解説するものとなっており、宗教を通して日本人の精神のルーツを探る、という意味で非常におもしろい。特に興味を惹かれたのが、平田篤胤と折口信夫。前者は一般的には日本中心主義的な国学者であるとして忌み嫌われている感があるが、実は日本の暗部をしっかりと見つめ、研究した人でもあり、その思想も明治政府の宗教政策とはまるで異なるものであったという。また、後者は言うまでもなく柳田國男と並ぶ民俗学の巨人であるが、その小説の魅力については本書で初めて知った。明治以降の世の中において、神仏習合的な内容の物語を数多く著した折口は、それを通して日本人の魂の原点に触れているように思う。読んでみたい。