自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1356冊目】村上重良『日本史の中の天皇』

日本史の中の天皇―宗教学から見た天皇制 (講談社学術文庫)

日本史の中の天皇―宗教学から見た天皇制 (講談社学術文庫)

誰もが知っているようで、実は誰もよくわかっていない。「天皇」という存在には、どうもそういうところがある。

本書はそんな日本史のブラックボックスに真正面から光を当てつつ、天皇という切り口で古代から現代までの日本史を一刀両断した一冊だ。なるほど、天皇が「万世一系」だとすれば(そのこと自体への疑問も著者は呈しているが)、日本史を貫く天皇という「縦糸」に着目することで、日本の歴史全体が一望できるというワケだ。

読んでいて驚いたのは、天皇による統治をいわば神々のレベルで正当化した記紀神話や神道思想に、中国の民衆宗教である道教が多大な影響を与えていたという指摘だった。だいたい、天皇という名称自体、中国タオイズムの星辰信仰にもとづく「天皇(てんこう)」に由来するというのだから、確かにこれは切っても切れない縁がある。

著者によれば、当初、道教がこのように大きな影響を与えた背景には、中国では仏教への対抗原理として道教思想が持ち出されることが多く、そうした対立の構図がそのまま日本に持ち込まれたという経緯があるという。

天皇を中心とする神道皇室神道)には、仏教が日本社会に根づいた後も、非仏教の祭祀であるとして仏教化を拒否する伝統が生き続けてきた。そのためには、宗教としての水準が高く内容の豊かな仏教に対抗できる宗教思想や宗教儀礼を必要としたが、そのさいに援用されたのが道教なのである」(p.41)

ところが、道教神道に与えた影響については、思うにこれまでほとんどおおっぴらには論じられてこなかったらしい。その理由として著者は、第一に、その後の日本で仏教勢力が政治、社会、文化全般に支配的な影響を与えることとなり、道教は迷信の類として退けられたこと、第二に幕末の国学復古神道の隆盛の中で、日本人の精神の根幹にかかわる「惟神(かんながら)の道」を日本純粋のものと捉え、そこに外国の影響を認めたがらなかったという精神作用があったことを指摘する。確かにありそうな話である。

その後の中世〜近世に至る天皇の歴史もおもしろいが、中でも「天皇から見た日本史」として決定的に重要なのは、明治維新における王政復古であろう。

言われてみて初めて気づいたのだが、考えてみれば明治維新とはきわめてユニークな事件であった。なにしろそこでは、西洋文明を大幅に取り入れた近代化のベクトルと、王政復古という名のとおりの古代の復活という後ろ向きのベクトルが同時進行したのである。

この「古代の復活」こそ、実は明治以降の日本の歴史を決定づける根本的な「ねじれ」の原因であった。なにしろ、古いモノを復活させるという呼び声の中で、皮肉なことに江戸時代まで社会に脈々と生き続けた伝統が断絶し、日本人はかえって過去と現在を結ぶ地続きの歴史を失ったのだから。

しかも古代の復活といっても、現実には古代日本の儀礼も習俗もほとんど失われているのだから、結局「復活」したのは、近代的思考と中途半端な有職故実のハイブリッドにすぎなかった。その典型のひとつが、例えば祝祭日の決め方であった。江戸時代までは、季節の節目として「節句」が祝われてきた。しかし、明治政府はこうした民間の伝統をばっさり切り捨て、「天皇中心の神道的な祝祭日の体系」で置き換えてしまったのだ。紀元節天長節などはこのようにして生まれた。

その大部分は戦後になってまたも変えられたが、江戸時代以来の季節感あふれる「節句」の習慣は、桃の節句端午の節句、七夕を除き、ほとんどが忘れ去られてしまった。だいたい、そもそも暦法自体、世界最高水準といわれた太陰太陽暦天保暦を、明治政府は強引にグレゴリオ暦に改めてしまったのである。

「近代化と古代化の同時現象」として明治維新を捉えると、たしかにそこで何が起き、何が失われたのかが良く見えてくる。天皇への着目が、日本史を解き明かすカギのひとつであるゆえんである。本書は30年くらい前に書かれたというが、今読んでもきわめて示唆に富む。名著といってよい一冊であろう。