【772冊目】木田元『哲学と反哲学』
- 作者: 木田元
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2004/08
- メディア: 文庫
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「反哲学」とは聞き慣れない言葉だが、これは従来の哲学の「前提そのものを掘りかえし、検討に付そうと」するものだという。具体的には、本書で登場するハイデガーや、その思想を準備したフッサールやニーチェ、あるいはメルロ=ポンティなどが、こうした「反哲学」の担い手となった。
本書はこれら、難解をもって知られる「反哲学」者の思想を、従来の哲学と比較するかたちで概観するもの。ハイデガーがその軸となり、世界認識、自然、身体・感情、芸術と、多彩な視点から解説がなされている。
これがまあ、驚くほどわかりやすいのである。この種の本でこれほど「わかる」ものは初めて。哲学用語はびしびし使われているし、文章も決して「やさしい」とはいえないと思うのだが、それでもどんどん頭に入ってくる。これにはびっくりした。
論理が着実で、飛躍がなく、説明がいちいち的確なのである。ギョーカイの方なら「当然わかっている」前提論を、著者は絶対に抜かさない。だから、読んでいて議論の道筋を見失っても、じっくり戻ってわからなくなった部分を丁寧に解きほぐしてから進むと、ちゃんとわかるようになっている。しかも、常に複数の思想家の思想を比較しつつ論じていることもあるように思う。似たようなものや対照的なものと比較することでわかりやすくなる、というのは入門書やマニュアル本のイロハであるが、哲学の解説にも妥当するとは知らなかった。
内容についてはここでコンパクトにまとめてしまうとかえってわかりにくくなり、本書を手に取る人が減ってしまいそうでアレなのだが、自分の備忘のためにメモ程度残しておく。まず、従来の西洋哲学の考え方として、あらゆる存在は「本質存在」と「事物存在」に区別される、という前提がある。「本質存在」とは、「それが何であるか」ということ。言い換えれば、事物の「本質」ともいえる。一方、「事物存在」とは、「そのものがある」ということ。「それはリンゴである」というのは本質存在で、「そこにリンゴがある」というのが事物存在、といえばわかりやすいだろうか。
そもそもこの区別はプラトン哲学にはじまる。プラトンは「本質存在」をかの有名な「イデア」として、事物存在より優越しているとした。これに対して、アリストテレスは自然においてはむしろ「事物存在」のほうが優越すると考えたが、ハイデガーは、そもそも両者の区別があること自体が問題だと考えたのだ。むしろこうした区別以前にあったはずの「始原の存在」をこそ再発見しなければならない。そうした考え方の先駆をなすのがメルロ=ポンティやニーチェ、フッサール等であり、ハイデガーはこうした先人の思索を批判しつつ、存在をめぐるきわめて独自の思想に行き着いたのである。
さらにここにマッハやベルクソン、ウィトゲンシュタイン等が登場し、その思想の並び立つ中にあってハイデガーの思想が屹立していくのだが、繰り返しになるが、この近代思想オールスターの百花繚乱の思想を「存在論」一点に絞って展開し、まとめあげ、一冊の書物にした著者の力量はやはりものすごいものがある。これ一冊でハイデガーがわかる、とは到底いえないが、いわゆる「反哲学」の思想を通観するための大きな視点を提供する一冊である。