【660冊目】成田龍一『大正デモクラシー』
- 作者: 成田龍一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/04/20
- メディア: 新書
- 購入: 4人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (34件) を見る
前回の本を読んでから、大正デモクラシーが気になっていた。
幕末から維新への動乱、国会開設、そして日清・日露戦争を経て、まがりなりにも日本が国家の体をなした時代。大日本帝国憲法の下にありながら、普通選挙要求や民本主義・社会主義の胎動、女性解放運動が起こり、政党内閣がはじまった時代。検閲と弾圧を受けながらも、峻烈な社会批判や国家批判が行われた時代。
日本の近代史を眺めたときに、大正年間は奇妙な明るさを放っている。混沌とした明治維新と、暗黒の昭和史に挟まれたふしぎな時代。だが、その前後にくらべるとやや穏やかな時代でもあるためか、あるいは吉野作造、平塚らいてう、幸徳秋水、大杉栄、北一輝、頭山満らの多様かつ強烈な思想とイデオローグが縦横に交わされるわかりにくさのためか、これまでこの時代のことは正直よく知らなかった。敬遠していた、と言ってもよい。
だが、戦後民主主義や地方自治のルーツをこの時代に見出した宮本憲一氏の論説を読むと、やはり大正デモクラシーを知らなければはじまらない、と思わざるを得ない。そのとっかかりとして読んだのが本書。複雑怪奇な大正期を明快に整理してまとめており、新書らしいコンパクトだが充実した一冊となっている。ただし、地方自治や地方共同体のことは残念ながら載っていない。
本書は、日露戦争の結果むすばれたポーツマス条約の内容に反対する群衆が暴徒化した「日比谷焼打ち事件」から始まる。この出だしがすでにきわめて象徴的。この事件は、政府に楯突く「民衆」の登場なのである。そして、吉野作造の「民本主義」がその動きに連なり、民衆が主人公に躍り出た政治を構想する。これがさらに峻烈になったのが、大杉栄や伊藤野枝らの社会主義運動であろう。
いずれにせよ、国家の言うことを必ずしも聞かない「民衆」が出現し、勢いを増してきたという点が、大正デモクラシーのひとつの特徴だと思われる。特に「米騒動」は、「規律正しく暴徒化した民衆」による騒擾行為であったのだが、その勢いは政府をも恐れさせ、「社会運動の激化という『大害』を避けるために、社会に目を向け人びとの要求を取り込み『疎通』を図る」ようになっていく。国・地方ともに、「人びとの要求を一定程度受容したうえで統治を再編する」ようになるのである。現代に至る「福祉国家化」の流れは、おそらくこのあたりで始まったのではなかろうか。
また、こうした勢い、特に社会主義者の勢いが強くなりすぎると、へたをすれば国家が転覆する可能性もある。そうした政府側の恐怖感が、のちの治安維持法につながるような、左翼への弾圧姿勢に転化する。それがもっとも強くなったのが太平洋戦争中の「特高」であろう。大正デモクラシーの反動が昭和前期の言論弾圧に結びつき、さらにその反動が戦後に起こる。そう考えると、日本の近現代史がもっとダイナミックに見えてきはしないだろうか。
そういうわけで、新書で全体の流れをさらっと追っただけだったのだが、この時代は案外面白そうである。終戦で日本の近代がすべて断絶したわけではない。その「根っこ」、その「由来」が、この時代を掘り起こしていくとたくさん出てきそうだ。できればもう少し、この分野を探ってみたい。