【661冊目】宮部みゆき『英雄の書』上・下

- 作者: 宮部みゆき
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 2009/02/14
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ちょっと乱暴な分類だが、話を「広げる」作家と「収める」作家に世の中の小説家を分けると、宮部みゆきは「広げる」タイプの作家であるのかな、と、本書を読んで感じた。
前者はとにかく空想先行、イメージ先行型。どんどんあふれてくるイマジネーションをひたすら展開することで小説世界を一気に構築するところが醍醐味だが、ラストのつけ方が難しいのがこのタイプである。私の独断と偏見では、スティーブン・キングなどがこのタイプかな。「ストーリーテラー」とか「語り部」と称されることが多いように思われる。最近亡くなった栗本薫はこのタイプの権化であった。
後者はそれに比べると、きっちりと設計図を引いてから物語を作り始めるタイプ。宮部みゆきとの対比で言うなら浅田次郎とか京極夏彦あたり。推理作家などほとんどがこのタイプであろう。無難といえば無難だが、破綻することなくきっちりと物語をまとめるという意味では安心して読める。それに比べると、イマジネーション先行型は大団円がうまくはまればすごい傑作が生まれるが、収束がつかなくなると竜頭蛇尾的な仕上がりになってしまうこともある。
宮部みゆきはこれまで、わりときっちりラストで「まとまる」作品が多かったように思う。『理由』はやや拡散気味だったが、『火車』も『模倣犯』も、それなりにきっちりと小説として完結していた。だが、この人の本質はほとばしるイマジネーションで物語世界を広げるところにあるんじゃないかな、という気はしていた。そう感じさせるモノが、ほかの小説にも漂っていた。特にファンタジー系の『ブレイブ・ストーリー』や『ドリームバスター』などは、本当に「書きたいものを書いている」という勢いが感じられた。
そうした中、この小説もイメージが先行し、どんどん広がっていくタイプの小説であるように思えた。「エルムの書」「黄衣の王」「無名の地」「咎の大輪」「印を戴く者」……。いずれも強烈にイメージを喚起する言葉の群である。本書の魅力は、そうした独特で強烈なイマジネーションの粒子がちりばめられ、独自の世界観がつくられていることであろう。
ただ、その世界観に浸ることは、残念ながらこの小説ではできなかった。すべての要素が微妙にかみ合っておらず、小説として立ち上がってこなかった。
そのため、物語がなかなか動き出さず、動いても今度は収めどころが見つからない。いや、収めどころはあったのかもしれないが、それですべてが収まるには、世界観が異様なものになりすぎた。それに、そもそもこの小説は「本の本」、「物語の物語」。だが、著者はそれをカルヴィーノやガルシア=マルケスのような手法ではなく、あくまで現代のエンターテインメントの枠組みの中で書いてしまった。その時点で、ラストがその枠からはみ出してしまうことは、見えていたのかもしれない。
著者自身も、特に後半、ずいぶん苦しみながらこの小説を書いていたのではないだろうか。広げた風呂敷のしまいどころを見いだせないまま、連載を続けていたのではなかろうか(本書は毎日新聞夕刊に連載されていた)。的外れかもしれないが、そんなことを感じながら読んでしまった。それほどに、本書は読んでいて苦しかった。特にラストは、本当にこんな結末を書くつもりだったんですか? と聞きたくなるほど、暗澹たる終わり方。友里子が「狼」に誘われるというエピソードは、その中にかすかな光をせめて灯そうとしたのだろうか。