自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【428冊目】水谷三公「江戸は夢か」

江戸は夢か (ちくま学芸文庫)

江戸は夢か (ちくま学芸文庫)

江戸時代について書かれた本であるが、著者の専門は近代イギリス史。そのため、本書は切り口が面白い。単に江戸を紹介するだけではなく、イギリスの歴史と日本の歴史を引き比べつつ論じることによって、新しい光をあてている。

特に印象的だったのが、土地所有と身分をめぐる日本とイギリスの違いである。イギリスでは、封建領主といわれるように、土地の所有が身分・階級の高さや権力と密接に結びついていたのに対して、江戸時代の日本にあってはむしろ身分的には低い農民が土地を所有しており、武士は基本的に土地を持たなかったという。また、「鉢植大名」という言葉が示すとおり、大名や旗本などの「高級貴族」も、知行地である地方をぽんぽん動かされ、さらに自身は江戸に滞在することが多いため、地方との支配関係は希薄であった。土地がイギリス貴族にとっての権力の源泉であったのに対して、江戸時代の武士階級にとっては、幕府や藩への帰属こそが権力の源泉であり、土地をもつことはむしろ農民や町人のならいであったというのである。

また、地方自治との関連でいえば、当時の農村の中には、名主を「入れ札」つまり投票で選んでいたところが少なからずあったという。都市部でも同様の風習が一部で見られたらしい。むろん、すべての公職を対象とするものではないにせよ、今風にいえば、地方における公職選任の方法として、選挙がすでに行われていたのである。この指摘は前にもどこかの本で読んだ気がするが、なかなか画期的である。日本の民主制はよく、西洋の制度を国家が導入した「上からの民主制」と言われるが、実際には自然発生的なかたちですでに実現していたことになる。日本の農村や都市のコミュニティの歴史を考えるときに、これはなかなか重要なポイントになってくるのではなかろうか。

ほかにも、江戸時代のみを単体で見ていてはなかなか気付きにくいことが、イギリスとの比較という手法によって見事に浮かび上がってきており、歴史を論ずる方法論としても非常に示唆に富んだ一冊である。最後にちょっと気になった点を書くと、著者がやたらに既成の学説に対して攻撃的で、やたらに本文中で批判を繰り返すところがやや興醒めであった。せっかく面白い視点を提供しているのだから、もっと江戸に没入させてくれてもよかったかもしれない。