自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【701冊目】網野善彦『「日本」とは何か』

「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

ほかの国もそうなのかもしれないが、日本人が日本に対してもっているイメージとか観念というもの、けっこういい加減なものである。たとえば、日本はずっと昔(たとえば弥生時代とか縄文時代)にも存在した。たとえば、日本は(さすがに最近は単一民族などと口走る人は少ないが)均質性が高い社会である。たとえば、日本は稲作中心文化であり、百姓=農民による「コメの国」である……。

本書はこうした「思い込み」「先入観」に次々と疑問を投げかけ、ひっくりかえしてくれる本である。たとえば、百姓と農民は必ずしもイコールではなく、「百姓」にはもともと漁民や商人などが含まれているということ(しかし、百姓が農民だと思っていろいろな資料を読むと、まるで日本が農民だらけであるように見えてしまう)。もちろん本書は、日本史における農民の位置づけをいたずらに過小評価するものではない。ただ、これまでの歴史研究では農民以外の人々の姿、特に海上交易などを盛んに行っていた商人の活躍など、動態的でダイナミックな部分にほとんど光が当てられておらず、そのため「土地に縛られた農民」による静態的な社会ばかりが強調されてきたのであって、これでは歴史の見方としてはバランスを欠いているということである。

また、日本が必ずしも全体にわたって均質な社会を作ってきたわけでもない。そもそも現在の北海道や沖縄は、アイヌ琉球王国といった独立性の高い社会を営んできたし、本州でも、東日本と西日本の社会風俗の違いは現在に至るまで続いている。このあたりは民俗学のフィールドワークの成果もあってだいぶ解明が進んできているが、一般にはいまだに「日本は均質な社会」という思い込みが強く残っているのではないか。もっとも、テレビの影響もあって結果的に、日本中が「ミニ東京」化し、別の意味で均質化してきてしまっているという面はあるのかもしれない。

しかし、本書を読んで一番ショックだったのは、そもそも「日本」という国号がいつから使われはじめたか、という、いわば「日本論の基本中の基本」を自分が知らなかったことである。本書によると、対外的に「日本」という名称が使われたのは西暦702年。唐から周に国名を変えた中国の則天武后に対して「日本国の使者」と名乗り、それまでの「倭国」からの変更を宣言したのだという。したがって、日本という国号が確定したのは早くみても7世紀末であり、それまでは「日本国」や「日本人」は原理上存在しえない、ということになる。

もちろん、倭国と日本国を継続的に考えて「日本国」を「倭国」も含めて考えることはできるだろうが、それにしたって当時の「倭国」の範囲は現在の日本全体からすればはるかに小さなものであり、薩摩の隼人、東北の熊襲蝦夷は、日本国とは別個の社会を形成していたのだ。そう考えていくと、一般的に漠然と使われてきた「日本」という名称自体がラディカルに問い直されることになる。

さらにもうひとつ、考えてみれば当たり前というか今更の話なのだが、ショックだったことがある。「日本」という名称は、「日の昇る処」つまり聖徳太子で有名な「日出ずる国」というところからきている。これをもってなにか誇らしい国号であるかのように感じられている方は多いと思うのだが、実はこの「日出ずる」というのは、あくまで中国から見てのことなのである。ハワイから見れば日本は「日沈む国」であろう。

つまり、この「日本」という国号はそれ自体、自分の国ではなく、中国に視点を置いてつけた名前といわざるをえないのだ。言い換えれば、この名称には中国中心主義、いわゆる中華主義の思想がビルトインされているのである。このあたりを察知していた江戸後期の国家神道家「会津士人佐藤忠満」は、「(日本という)国号を申候事、大嫌之様子」であった。私個人は、日本という名称に愛着もあるし、制定の経緯や当時の状況を考えれば、そういう中華思想の殻を引きずっているところがむしろ面白いのかな、と思うのだが、それにしてもそのことを本書によって指摘されるまでこれまで全然気づかなかったことのほうがショックだった。