【321冊目】ブルーノ・タウト「忘れられた日本」
- 作者: ブルーノタウト,Bruno Taut,篠田英雄
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/06
- メディア: 文庫
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タウトは本書で、二つの「眼」をもって日本を語っている。
ひとつは、建築家としての眼である。桂離宮や伊勢神宮のようなシンボリックな建築物から、平凡な日本の農家に至るまで、建物を通じて日本を見ているところが、本書をユニークな日本論としている。また、その専門的な知識があるからこそ、日本の建築物が日本の気候や風土にマッチした合理性をもっていることを見抜き、さらにはその奥にある日本人の自然観、生活観を洞察し得ているということができるように思う。
もうひとつは、審美者としての眼である。本書でタウトは、良いものは良い、悪いものは悪いと、きわめてはっきりと遠慮なく断じている。桂離宮を称揚する一方で日光東照宮はボロクソであり、「いかもの」「いんちき」「げてもの」「はいから」についても、非常に厳しい論調で書かれている。その基準となっているのは、つきつめてしまえばタウト自身の中にある美的感覚であり、日本というものに対してタウトがもっている美意識の発露である。
本書を読む限り、タウトはその感覚の絶対性、普遍性を、ほとんど疑念なく信じているように思われる。それを非難がましく見る向きもあるかもしれないが、そもそも美について論じるとはそういうことではないだろうか。特に日本的な感覚美の世界は、枕草子をはじめとして、主観的な美意識を発露させるところにこそあるのではないか。その意味で、タウトの日本論は、まさしく日本的な感覚美の世界に立脚しているといえるように思う。