自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【262冊目】 藤田正勝・安冨信哉編「清沢満之」

清沢満之―その人と思想

清沢満之―その人と思想

清沢満之とは、激動の明治にあって「精神主義」を唱え、仏教復興運動に一生を投じた人である。本書はその生涯や思想を、さまざまな論者、さまざまな角度から多面的に論じた本。

読み始めた当初はどうもとっつきづらく中身に入っていけなかったが、さまざまな思想家、哲学者とのコントラストの中で清沢満之の思想を論ずるあたりでだんだん興味が湧いてきた。内村鑑三キェルケゴールレヴィナス等との相似性は、宗教家のみならず思想家としても清沢満之を評価しうるということでもあるし、西田幾多郎への影響の有無を論じた章にいたっては、実際に影響を与えていたかどうかはともかく、清沢満之の思想自体、ひいてはその奥にある仏教の思想性そのものが、日本の思想史のひとつの大きな源流になっているということを意味するといえる。また、浩々洞と称された清沢満之の家では日夜盛んな議論が交わされ、それが清沢自身の思想形成もさることながら、宗教と思想の接点で思索を深めていた若者たちにとっても、一種の知のユートピアになっていたことがうかがえて興味深い。

清沢満之の思想自体は、この読書ノートでもたびたび言及してきた「歎異抄」等の親鸞の思想を踏まえたものであり、やはり「他力」がキーワードとなってくる。清沢の活動は、思うにこの「他力」の思想を梃子として、仏教の復興と、宗教と思想の並立的存立を実現しようというものであるのではないか。ただ、清沢自身の人柄は本書からうかがえる限りきわめて頭がよくかつ生真面目、正しいと信じることにまっすぐ進んでいく人間であるように思われた。その点で、前の読書ノートで触れた、清沢の弟子でもあったが破天荒な暁烏敏とは大違いである。そして、世間的にはかなり無茶なことはしているがまじめで直球一本勝負的な清沢満之より、煩悩と欲望でどろどろになりながら仏教復興に携わった暁烏敏のほうが、深いところで親鸞の思想のもっともラディカルな部分と共鳴するところが多いように思われるのである。最初、本書がぴんとこなかったのも、歎異抄の強烈な逆説性と清沢のパーソナリティにズレを感じてしまっていたためかもしれない。