自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2486冊目】松本俊彦『自分を傷つけずにはいられない』

 

 

自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント

自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント

 

 

Q1 リストカットなどの自傷をするなんて、どうせごく一部の人の問題でしょ?

A1 違います。10代の若者に限っても、約1割は自傷経験があることがわかっています。さらにそのうちの6割は、10回以上の自傷経験があるのです。

Q2 自傷って、誰かにかまってほしいから、アピールのためにやるんじゃないんですか?

A2 著者の調査によれば、自傷の理由として「人にかまってほしい、気づいてもらいたい」ことを挙げた人は約2割だそうです。多いと思いますか? それとも案外少ないですか?

Q3 「自傷」と「自殺」はどう違うのですか?

A3 自殺とは、生きることを終わらせるための「脱出口」です。一方、自傷とは、生き続けるための手段であり「正気への再入場口」です。同じ行為でも、何を意図しているかによって「自傷」か「自殺」かが変わってきます。

Q4 自傷が「生き続けるための手段」とはどういうことですか?

A4 自傷行為による「身体の痛み」が、耐えがたい「心の痛み」を鎮めるのです。自分ではコントロールできない「心の痛み」を、自分でコントロール可能な「身体の痛み」に置き換えているということもできます。或いは著者は、こんなふうにも言っています。

自傷する人が切っているのは皮膚だけではないのです。つらい出来事の記憶やつらい感情の記憶も切り離し、何もなかったことにしている、ということなのです」(p.49)

Q5 じゃあ、自傷で死ぬことはないんですね?

A5 自傷エスカレートします。痛みに慣れて鎮痛効果が得られなくなり、より重篤な行為に及ぶようになりますし、以前よりささいなことで自傷するようになります。そして、自傷による鎮痛効果が得られず心の痛みに直面せざるを得なくなり、「死」を選ぶために身体を傷つけることがあるのです。ちなみにその時は、自傷とは別の方法を選びます。
 10代の時に自傷したことがある人の10年間の自殺リスクは、自傷したことがない人の400倍から700倍高くなるそうです。

Q6 自傷を止める方法はないのですか?

A6 まず自傷日誌をつけて、何がトリガーになっているか、あるいは何が自分をつなぎとめる「アンカー」になっているかを知ることが必要です。そして、もっとも強力なトリガー5つを選び、それらに遭遇したら、自傷したい気持ちを切り替えるための「置換スキル」を活用します。

Q7 置換スキルとはなんでしょうか。

A7 置換スキルには、刺激的置換スキルと鎮静的置換スキルがあります。刺激的置換スキルには、手首にはめた輪ゴムをはじく、紙などを破る、氷を握りしめる、腕を赤く塗りつぶすなどの方法があります。比較的簡単に行えますが、刺激によって気分を変える方法であるため、それ自体がエスカレートして自傷的になることもあります。鎮静的置換スキルとしては、呼吸法や瞑想法、絵を描いたり楽器を演奏するといったものがあります。ある程度の練習や訓練が必要なことが多いようです。

Q8 摂食障害というほどではありませんが、過食や拒食があります。

A8 食生活を安定させるには、次の3つを守ることです。
   1 三度の食事をきちんととる
   2 それ以外の過食はしたいだけしてよい
   3 嘔吐や下剤乱用はしない

Q9 恋人と別れるのが不安で、言いなりになってしまいます。

A9 恋人以外の依存先をたくさんつくりましょう。専門職ともつながりをつくり、相談できるようにしましょう。

Q10 精神科に通いたいのですが、良い精神科医を選ぶコツはありますか。

A10 自傷したことを叱責する精神科医、頑固で思い込みが激しい精神科医、依存性の強い薬をためらいなく処方する精神科医(具体的には注意や警告なくハルシオンサイレースマイスリーデパスエリミンを出す医者はNG。ベゲタミンラボナを処方する医者は問答無用でNG)、診療中パソコンの画面とにらめっこの精神科医、本を書いている精神科医はやめたほうがいいです。「本を書いている」というのは、だからダメということではなく、本を書いていることを理由に医者を選ぶとロクなことがない、ということだそうです。

 

 

 

【2485冊目】井村雅代『シンクロの鬼と呼ばれて』

 

シンクロの鬼と呼ばれて (新潮文庫)

シンクロの鬼と呼ばれて (新潮文庫)

 

 

日本で6大会、中国で2大会、そしてふたたび日本で1大会。著者は、なんと9回のオリンピックでシンクロ選手にメダルを取らせてきた「メダル請負人」である。本書はその舞台裏を、みずから克明に語った一冊。中国に行った理由、なぜ選手をギリギリまで追い込むか、そしてなぜ日本チームに戻ってきたか。その理由はすべて本書に書かれている。世界のトップレベルで戦うとはどういうことかという、その極限のせめぎ合いが、これまで読んだことのないくらい詳細に書かれていて、メダルを取る人たちだけが知るはずの、未知の世界を垣間見ることができる。

読んで思ったのは、この人は一種の職人だ、ということだ。一人一人の選手の技術から性格までをすべて掌握し、あたかも芸術品を仕上げるように、本番に向けて選手の状態を仕上げていく。その姿勢には、ある意味無駄なものがまったくない。井村は人を「プロの選手」に作り上げる名職人なのだ。

それにしても、井村のような突出した異能を扱うことが、この国の指導層やマスコミは本当にへたくそだ。「年齢オーバー」を理由にコーチから追放しておいて、中国に行くことになるとボロクソに叩き、そのくせ日本が低迷し、オリンピック出場が危ぶまれると声をかける。それも過去の過ちを素直に詫びればまだよいが、なんと交渉に来たうちの一人はこう言ったという。「あなたが中国に行ったときは、いろいろ思うところがありました。でも、そんなこと言ってる場合じゃなくなった。どうしても帰って貰わなきゃならないんだ」一方的に追い出しておいて、これはなんたる言い草か。

思うに、こうした才能を活用するには、ひとつしか方法はないのである。それは、すべて任せ、必要なものはすべて供給し、余計な口は一切挟まないこと。それができるだけの覚悟と胆力が、立場の高いオッサンたちに足りないから、優秀な日本人ほどどんどん海外に出てしまうのだ。

【2484冊目】塩浜克也・米津孝成『疑問をほどいて失敗をなくす 公務員の仕事の授業』

 

疑問をほどいて失敗をなくす 公務員の仕事の授業

疑問をほどいて失敗をなくす 公務員の仕事の授業

 

 

役所に限らず、どんな職場でも「最初の先輩」はたいせつだ。特に新人職員にとっては、社会人のイロハや組織のルールをわかりやすく教えてくれる人がいるかどうかは決定的。だが、運が悪いと、周りが忙しすぎて面倒を見る余裕がなかったり、先輩自身が基本的なことを知らないこともある。先輩を自分で選べない新人職員にとって、その違いは大問題だ。

そんな「迷える新人」にとって、本書は救世主となりうる一冊だ。なにしろ仕事の基本から組織、法律、議会対応まで、最低限知っておくべき基本の知識がコンパクトにまとまっているのだから。自治体ごとのローカル・ルールはあるにせよ、地方自治体共通の基礎知識はこの一冊で十分だ。

たとえば「1時限目 公務員になったら」では、「職員の行為は『自分ではこう思っていた』ではなく『周囲からこう見られた』という側面から評価」(p.19)されるという点が強調されている。さらにクレーム対応のくだりでは、それが「職員を見る側(住民)と見られる側(職員)との間の意識の『ズレ』」(p.27)に起因することが明らかにされる。

この「ズレ」については、実際は新人どころか、ベテランになればなるほど鈍感になっていく傾向があり、なかなか困ったものなのだが、だからこそ新人の頃に、この点を自覚しておくことが大事なのだ。だが、そうは言っても窓口や電話で戸惑うことが多いのが新人職員。そんな時のための具体的なアドバイスもしっかり書かれている。

とりわけ唸らされたのが「窓口でお客さんが感情を爆発させても、その原因は対応したあなたではなく、『事態をめぐる状況』であると考えると、心理的な負担も多少は軽減するのではないでしょうか」(p.31)という指摘。確かに、自分という人間が責められている、攻撃されていると感じると、窓口対応はかなりツライものになる。そんな人にとって、この指摘はかなり救いになるのではないか。

「2時限目」以降は最低限の基礎知識が網羅されており(もっとも、これが「最低限」と思える自治体職員はどれほどいるだろうか?)、中でも情報公開や審査請求などの具体的な場面ごとにまとめられている「3時限目」はベテラン職員にとってもありがたい内容だ。4時限目「お金編」では、なんと随意契約用の起案チェックシートまでついており、至れり尽くせりとはまさにこのこと。今までありそうになかった「頼れる先輩」としての基本の一冊だ。

【2483冊目】上橋菜穂子『精霊の守り人』

 

精霊の守り人 (新潮文庫)

精霊の守り人 (新潮文庫)

  • 作者:上橋 菜穂子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/03/28
  • メディア: 文庫
 

 

言わずと知れた、現代日本に生まれた傑作異世界ファンタジー守り人シリーズ」の第一作である。

ちょうどこの本が出たころはファンタジーから遠ざかっていた。児童文学ということもあって、手に取るにも遠慮があった。気がつくと巻数を重ね、文庫化もされていたが、今度はシリーズ全10冊という量に腰が引ける。今回、ある知り合いが勧めてくれたのをきっかけに、ようやく手に取ってみた。

面白い。見たことがないはずなのに、どこか懐かしい世界観。女用心棒バルサに皇子チャグム、薬草師タンダに呪術師トロガイといった魅力的なキャラクター。先が読めないスピード感のある展開。あっという間に読み切った。

単なるお子様向けのファンタジーではないのは、主人公バルサの年齢が30歳というところからもわかる。むしろ謎が謎を呼ぶ重層的なストーリーは案外複雑で、しっかり読み解くのは大人でも少し苦労するかもしれない。というか、これほどの新しい世界観、二転三転するストーリーに歴史のオモテとウラまで盛り込むには、いかんせんこのページ数では少なすぎる。濃縮しきれず完全に「説明文」になってしまっている箇所もあり、本来はこの倍の分量が必要だろう。そのあたりは第一作ゆえの制約もあったのだろうが、それでもこれほどの要素を詰め込み、そのことをほとんど感じさせない手際はすばらしい。

特に、この世界は目に見える世界「サグ」と、目に見えない水の世界「ナユグ」が重なり合っている、という設定は卓抜だ。二つの世界はそれぞれに関わりなく存在しているが、時に一方の世界がもう一方に大きな影響を与える。そのことが、この物語のメイン・プロットに深くかかわっている。このあたりは著者の専門であるアボリジニ神話が影響しているのだろうか(著者はアボリジニ研究を専門とする文化人類学者)。いずれにせよ、このシリーズを読み進めるのは、なかなか楽しい旅になりそうだ。

 

【2482冊目】ヴィクトル・ユゴー『死刑囚最後の日』

 

死刑囚最後の日 (岩波文庫 赤 531-8)

死刑囚最後の日 (岩波文庫 赤 531-8)

 

 

 

死刑廃止を訴えるのに、若き日の文豪ユゴーが選んだ方法は、一人の死刑囚の最後の一日を克明に記すことだった。余計な要素をギリギリまで削ぎ落とし、死刑囚が最後の朝をどんなふうに迎え、死のことをどう感じ、どんな思いで断頭台までを歩いたか、ただそれだけを書き込んだ。

この死刑囚が何をしたのか、被害者はどんな思いを抱いているか、あるいは死刑囚の家族は何を感じているか。それすらも、本書にはまったく出てこない。ただ死刑囚の娘との最後の面会が、死刑囚の視点から痛ましく描かれているだけである。

思ったのは、死刑の残酷さとは、単に死を与えるだけではない、ということだ。逃れられない自分の死がその日のうちに訪れることを知りつつ、その一日を過ごさなければならないことに、死刑制度がもつ本当の非人間性がある。断頭台に向けて歩くその一歩一歩が、過酷な刑の執行なのである