【2286冊目】マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』

 

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

だいぶ前に話題になった本。ハヤカワ文庫ベスト100に入っているのをみて、ああ、そういえば読んでなかったな、と気づいて手に取った。

というわけで、遅まきながら読んでみた。ビジネス書みたいなノリを予想していたので、けっこうガチで「哲学している」のに驚いた。ベンサム、カント、ロールズアリストテレスの思想が登場し、功利主義、リバタニアリズム、リベラリズムが説明され、その上で著者の寄って立つコミュニタリアニズムの思想が示される。まさにサンデル哲学のど真ん中を扱う一冊。テレビの影響とはいえ、よくこんな本(誉め言葉です)が売れたものだ。

とはいえ、難解な哲学用語を使わず、現代的でわかりやすい事例を引きながらの解説はさすがに見事なもの。特にカントの道徳哲学の「特異さ」をここまで明瞭に説明するのは名人芸だと思う。そう、歴史に名を残すような哲学者の考えって、実はとんでもなくエキセントリックで面白いのだが、独特の用語や難解な言い回し、過剰な権威付けにごってりと覆われていて、そのあたりがなかなか伝わりにくいのだ。サンデルはそのあたりを一切取り払いつつ、その本質だけを見事に切り出してみせてくれる。

その上での功利主義リベラリズムへの批判、「共通善」というもののあり方については、個人的には条件付きで賛成、といったところか。確かに、われわれはすべて、所属しているコミュニティの道徳の中で育ち、それを身につけている存在であるのだから、それを無視して個人の自由と理性だけに寄って立つ正義を想定するというのは、いささか無理のある考え方かもしれない。

だが一方で、一定の共同体の中で通用する「共通善」は、どうしてもその時代や文化、習慣などの影響を受けやすい。ある時代や場所では通用した道徳が、別の時代や場所では不道徳と認定されることはいくらでもある。その中では、今となってみれば不当な抑圧や差別とみなされるものもあるだろう。日本でもアメリカでも、近世における女性への扱い、最近までの同性愛者や障害者への扱いはどんなものだっただろうか。古代ギリシア奴隷制が認められていたからと言って、奴隷制は道徳的だろうか。

ある時代の文化や伝統に基づく道徳観念を重視しすぎることは、そこからはみ出す生き方を抑圧することにつながりやすい。一つの例として挙げたいのは、バスの白人専用席に座って逮捕されたローザ・パークスである。彼女は「正義」ではあったかもしれないが、その時代の道徳には背いていた。だがその逸脱の勇気が、公民権運動の大きなうねりを作り出したのではなかったか。

だから、確かにサンデルの論じているとおり、日常生活の中ではその共同体の道徳に従えばよいと思うのだ。だがそれはあくまで「仮留め」のものであり、絶対的な存在ではないということを忘れてはならない。リベラリズムとはそうした道徳が揺らいだ時に寄って立つべき大原則であり、道徳に対する保険のようなものだと思うのである。