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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1874冊目】野矢茂樹『新版 論理トレーニング』

科学・論理・数理

 

新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)

新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)

 

 

論理とは言葉と言葉の関係をとらえる力である、と著者は書く。本書のねらいは、論理という切り口から日本語を理解しなおすことである。この本は、あいまいでゆるゆるのまま「わかったつもり」「習熟しているつもり」になっている日本語理解を根底から組み直すことで、「日本語が本来もっている潜在的な論理的パワー」を解放するための一冊なのだ。

だから本書を読むことは、読み手自身の言葉の使い方の甘さやいい加減さと向き合うことだ。そのための多様な「例題」と「練習問題」(回答つき)と「課題問題」(回答なし)が、本書にはみっちり詰め込まれている。その意味で、本書は単に読むだけではなんにもならない。あくまで自分のアタマを働かせ、実践を通じてそれまでの日本語理解をリバース・エンジニアリングするための本である。

最初は接続詞、接続関係のような言葉と言葉のジョイント構造が扱われる。最初は簡単に思えたのだが、やってみると、ここがけっこう難しかった。「しかも」と「むしろ」、「すなわち」と「たとえば」の違いなど、分かっているつもりでも、実際に「どちらを選ぶか」と問われるとけっこう悩むものである。例えば、次の2つの文はどう違うか、わかるだろうか。

(a)この店はうまいが、高い。
(b)この店は高いが、うまい。

では、次の2つは?

(a)この店はうまい。しかし、高い。
(b)この店はうまい。ただし、高い。

答えは本書p.23~を。

続く「議論の組み立て」では、文章を書く際の基本が示される。ここでドキッとしたのは、次の指摘。

「書き手は、自分の文章であるから、理解している目で自分の書く文章を見る。それは、けっしてはじめてそれを読む人の視線ではない。それゆえ、自分の視線でしか書くことができない人の文章は、きわめて読みにくく不明確なものとなってしまいがちなのである」(p.45)

まさに私の文章のことを言われているような一文であるが、これはつまり、読み手との「共通の視線」にあたる共通言語が「論理」であるということなのだろう。内容以前に、文章の組み立て方自体が問われているのである。ああ、耳が痛い。

ちなみに、文章の書き方という点では、本書の白眉といえるのが第11章「論文を書く」である。ここでは、作文でも小論文でもない、まっとうな「論文」の書き方が懇切丁寧に示されている。接続関係にはじまった論理トレーニングの集大成ともいうべき一章だ。

とくになるほどと思ったのは「自分自身何気なく思っていたことにあえて波風を立てる」(p.169)というくだり。思っていること、考えていることをそのまま書いても、とおりいっぺんのレベルを超えることはなかなかできないものである。むしろ、自分の考えを自ら揺さぶり、いわば自分で自分に議論を仕掛けるくらいのことが、論文には必要なのだ。まあ、こんなふうに書かれてしまえば当たり前のコトのようだが、実はこれ、かなりの「コロンブスの卵」。なかなか自分でここまで考えられるものではない。

さて、本書は文章の書き方もさることながら、実は文章の読み方、本の読み方を根底から変え得る一冊でもある。内容に注目するだけではなく、そこに至る議論の組み立て方に着目すること。批判や「批判につながる質問」を絶えず考えながら読むこと。それは、受動的な読書から能動的な読書への転換であり、「読むこと」から「書くこと」への移行をうながすことでもある。

そして、そのための基本的なノウハウは「ゆっくり読む」こと。結論を探して読むだけではなく、そこに至る個々の言葉の接続構造、論証の組み立てをひとつひとつ点検しながら読むことである。そのことがいかに重要かは、本書に引用された膨大な「文例」を読めば良く分かる。あやふやで強引な組み立て、いい加減な接続構造をもった文章が、世にどれほど出回っていることか(本書の文例の多くは一般に刊行されている書籍から採られている)。本書はそうした多くの本に「だまされない」ための一冊でもあるといえるだろう。