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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1834冊目】ナサニエル・ホーソーン『緋文字』

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

舞台は17世紀アメリカ、ニューイングランド。一足先に旧世界から渡ってきたヘスター・プリンは、後を追うはずの夫が水死したと聞かされ、その後に夫ならぬ誰かの子を妊娠する。物語はそんなヘスターが刑台の上に引き出され、罪の証として、金色で縁取られた赤い「A」の文字を付けさせられるシーンから始まる。

本書はアメリカ文学の草創期を飾る本のひとつとされる。ピューリタニズムの厳格さ、ひいてはキリスト教における「罪と罰」をめぐる一冊であり、罪を背負って生きる者のドラマである、と「解説」されることが多い。

だが、読んで感じたのは、そうした教科書的な説明を超えた「物語の力」が、この小説には強く宿っているということだった。だいたい、父親が分からない子を生み、育てる女性への世間の目の冷たさは、ピューリタンのアメリカに限ったことではない。最近でいえば、フィギュアスケート安藤美姫の出産騒動など、まさに現代の「緋文字」の世界である。

だが、安藤美姫は少なくとも、緋文字を付けさせられることはなかった(メディア戦略的には、あえて付けてみせるというのも「アリ」だったかもしれない。くだらないバッシングをする連中に、批判の覚悟をつきつけるという意味で)。17世紀アメリカのヘスターは、四六時中、自分が不義の子を生んだ罪人であるということを、誰にでも分かる形で身につけている。

ところが本書が面白いのは、緋文字を付けているヘスターがかえって堂々と強く生き、しかもその行動を通して周囲の尊敬すら勝ち得ていく一方、正体を隠したままのヘスターの「相手」の男のほうが、目に見えない罪の意識にさいなまれて消耗し、精神的に追い詰められていくことだ。ふつうは罪のしるしを身に付けているほうが精神的に追い込まれたり、消耗しそうなものだが、逆なのである。

罪の意識は、それを「隠している」からこそ、よりいっそう心をさいなむものであるらしい。犯罪を犯した者が「罪の意識に耐えかねて自首」といったニュースを時々目にするが、彼らもまた、目に見えない「緋文字」に苦しめられてきたのだろう。むしろ隠し立てすべきことを最初から表に出してしまったほうが、最初はしんどいかもしれないが、後々はラクになるし、かえって強く、堂々としていられるものなのかもしれない。

本書は、アメリカのピューリタニズムを舞台装置に、「罪と罰」の本質を鋭利な刃物でえぐるような一冊。特にそのラストシーンには、なんとも胸打たれるものがある(展開自体はなんとなく予想できてしまうが、それでもなんだか胸が詰まってしまうのだ)。だいたい考えてみれば、かのラスコーリニコフさえ、この小説のラストに萌芽しているとさえ言えるのである。

罪と罰〈上〉 (岩波文庫)