自治体職員の読書ノート

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【1703冊目】柳田国男『海上の道』

柳田国男10冊目。一応これで連読ラスト。

海岸に流れ着いた椰子の実から日本人の来し方を想う「海上の道」から「海神宮考」「みろくの船」「根の国の話」「鼠の浄土」「宝貝のこと」「人とズズダマ」「稲の産屋」「知りたいと思う事二、三」と続く、柳田最晩年の論考だ。

とにかくびっくりするのは、77歳とは思えないその思考のパワフルさ。民俗学の父と呼ばれ、存命中から名声を得ていたにも関わらず、次々と新しい着想を得てはそれを検証しようとする、その姿勢にはアタマが下がる。

書かれていることは、ある意味一貫している。日本人は海を渡って南から来たのではないか、という仮説だ。そのことを解き明かすのに、柳田は昔話や言い伝え、習俗などに見られる沖縄と本土の共通性を拾っていく。

一見、海とは関係なさそうな「根の国」「鼠」についても、実は関係大ありである。根の国については、地下にある死者の国といったイメージをもたれることが多いが(「根」という文字も影響しているのだろう)、そもそも死者が地下にいるという発想自体が、古来の日本にはあまりなかったらしい。

むしろ死者の霊は肉体を離れて「自由に清い地に昇って安住し、または余執があればさまよいあるき、あるいは愛する者の間に生まれ変わって来ようとしてもい」る(p.133)。そして、そんな死者の行く先としての「根の国」は、むしろ地下ではなく海の彼方にあったものと柳田は考えるのだ。それが沖縄でいうニライカナイであり、あるいはミミラク(ミーラク)という名の、この世とあの世をつなぐ境の島であった。

ちなみにこの「ミミラク」が、実は「ミロク」にも通じている、というのがちょっと面白い。それは仏教の弥勒信仰のように見えるが、実は仏教とは無関係で、やはり海の彼方のニライカナイをめぐる信仰の現れなのだという。

鼠の浄土の話も面白い。昔話に「おむすびころりん」というのがある。地面に空いた穴からおむすびや手ぬぐいなどを落としてみたおじいさんは、ついに自分を投げ入れてしまう。するとそこには鼠の御殿があり、そこでおじいさんは贅沢三昧をするが、それを聞きつけた隣のじいさんは財宝を一人占めしようとそこで猫の鳴き声を出してしまい……という、あの有名なお話である。ところが実際には、鼠は海を渡って島から島へと伝ってくるという。鼠の地下宮殿もまた、死者の霊と同じく、もともとは地下ではなく海の彼方にあるものであった。

ちなみに浦島太郎で有名な海中の「竜宮城」(乙姫だけがいて竜がいないのに竜宮城とはこれいかに、とのキビシイ突っ込みも入っている)も、地中と海中の違いはあるものの、やはり似たようなお話である。海から陸への転換がいつどのようにしてなされたものか、詳しいところまでは分からないが、そこに柳田は、日本人の海に対する「忌避の念」を読み取る。

実際、本書の冒頭、柳田は日本人と海の関係について「四面海をもって囲まれて、隣と引き離された生存を続けていた島国としては、この海上生活に対する無知はむしろ異常である」(p.15)と指摘する。この指摘は鋭いものがある。そういえば、日本には海洋文学というのものがほとんどないと言われるが、それもこのことと関係しているのかもしれない。

まあ、実際にはこの「日本人南方起源論」については、その後の研究でさまざまに批判され、発展もしているところなのだが、いずれにせよ、日本が海に周囲を囲まれているということ自体はまぎれもない事実なのだから、沖縄からかどうかはともかく、海の彼方を見ずして日本人のルーツを語ることなどできるはずがない。本書はそのことを改めて思い出させてくれる、晩年の柳田による渾身の論考である。