自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1394冊目】ハンス・クリスチャン・アンデルセン作 ハリー・クラーク画『アンデルセン童話集』

アンデルセン童話集 (挿絵=クラーク)

アンデルセン童話集 (挿絵=クラーク)

思えば、アンデルセンを「まともに」読んだことって、今までなかったかもしれない。

子どもの頃は「女の子向け」だと思ってバカにしていたし、オトナになってみると、あらためて読もうとはなかなか思えないものだ。もちろん「みにくいアヒルの子」も「マッチ売りの少女」も「人魚姫」も、どんな話かは知っているが、たいていは短いお話をさらにダイジェストした絵本などで読んだ記憶がかすかにあるばかりである。

とはいえ、アンデルセンの「書いたとおり」を読むことは、特に子どもにとってはなかなか難しくなってしまっている。なぜなら日本にアンデルセンが紹介された時、セックスや暴力、残虐な描写が省略・改ざんされてきたという歴史があるからだ。魔法のもつ恐ろしくグロテスクな側面が切り捨てられ、ほんわかしたメルヘン調の部分だけが残され、伝えられてきたのである。

余談だが、ディズニーランドなんてその最たるもの、世の大人たちの「教育的配慮」がもっとも悪い形で具現化した場所ではなかろうか。あそこにはアンデルセンもグリムもいやしない。物語の墓場、と私はあの場所を呼びたい。

本書に話を戻すと、「絵のない絵本」の第11章が省略されているなど、この本もこうした「検閲」から完全に逃れられているワケではない(そのあたりの事情は、訳者の荒俣宏が解説でくわしく説明している)。しかしそれでも、オリジナルのもつ「闇」と「影」の部分は、読んでいてしっかり感じられる。それは、文章に加え、ハリー・クラークの素晴らしい挿絵によるところが大きいように思う。

ハリー・クラークについては以前『ファウスト』でも紹介したような気がするが、アンデルセンの世界もまた見事に描き切っている。幻想的で善意に満ちあふれ、同時にドロドロした闇の深さをもった物語が、鮮やかに転写されている。

今回、特にすばらしいと思ったのは、その色遣い(そこを愉しむためにも、本書は文庫版ではなく、箱入りの単行本を求められることをオススメする)。クラークはステンドグラス職人でもあったらしいが、たしかにその色彩感覚や、一枚の絵の中に物語をシンボリックに埋め込む手法は、モザイク状の鮮やかな色彩の中に聖書の物語が埋め込まれた教会のステンドグラスを思わせる。

モノクロームの作品もまた、細密で見事なものばかり。特にびっくりしたのは「人魚姫」の人魚と魔女を描いた一枚だった。純粋でひたむきな人魚の美しさと、目を見開いたおぞましい魔女のコントラストといったら! 見た瞬間、あまりの迫力に、うわあ、と思わず声を出してしまった。

挿画にもいろいろあって、読み手の想像力を潰してしまうイラストというのもけっこうあるのだが、クラークの挿画は、それがあることによってかえって読み手の想像力を刺激し、掻き立てる。そして、アンデルセンの童話って、シンプルなだけに読み手の想像力をものすごく求めるところがあると思うのだ。

だからこれは、子どもではなく大人のためのアンデルセン……と言いたくなるところだが、いやいや、私はむしろ子どもにこそ、このアンデルセンを読んでほしい。本当は子どもたちこそ、つまらない大人の配慮をよそに、光も闇もたっぷり詰まったアンデルセンの魅力を、生のままに愉しむ力をもっているのではないかと思うからだ。残酷で哀れで救いのない話にこそ、世界の真実はあるのだから。

できればハリー・クラークには、一冊でいいから、アンデルセンの「絵本」を子どもたちのために書いてほしかった。


ファウスト (挿絵=クラーク)