自治体職員の読書ノート

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【1372冊目】小池昌代編著『通勤電車で読む詩集』

通勤電車でよむ詩集 (生活人新書)

通勤電車でよむ詩集 (生活人新書)

本の記憶は、読んだ場所と共に残ることが多い。

本書のタイトルになっている「通勤電車」は、私にとっては常に読書スペースなのでかえって記憶に残りにくいのだが、町中の喫茶店や人を待っている駅のホーム、旅行先のホテルの部屋などで読んだ本は、中身は覚えていなくても「その本をそこで読んだ」ことは忘れなかったりする。

それが高じると、今度は読む場所にあわせて本を選ぶようになってくる。旅行では旅行先のイメージと重ね合わせての本選びに一番時間がかかるし、トイレ(「大」のほうね)や一人で入るお風呂だと、コマ切れで読める詩集やショートショート、軽いエッセイなどを手に取ることが多い。ちょっと時間が空くと喫茶店に飛び込んで本を読むことが多いのだが、そのための本を探して手近な本屋に飛び込み、選んでいるうちに空き時間が終わってしまうというマヌケなこともよくある。

くだくだしく書いたが、要するに本は「読むシチュエーション」と切り離せない。その点、本書の編者である小池昌代さんは、会社員時代、仕事帰りの電車のなかで詩集を読んでいたそうだ。

「ほとんどの詩を、電車を待つプラットホームや乗車した電車のなかで読んできたような気がする。電車のなかは、わたしにとって、詩の教室のようなものだった」(p.14)という。詩というコンテンツと、電車というシチュエーションが、小池氏の場合は鋳型のようにぴったりとはまっていたのだろう。

そんな編者が選んだだけあって、このアンソロジーはなんとも素晴らしいセレクションになっている。古典から前衛まで、国内から海外まで幅広い目配りをしつつ、ひとつひとつの詩のエッジがしっかりと立っている。この手のタイトルの本のなかには有名な詩をただずらずらと並べただけのいい加減なものも多いのだが、本書はかなり本格的な詩のアンソロジーになっている。

どの詩も、あっという間にその世界に読み手を連れ去っていく。深い闇の世界もあれば、ほんわかとした平和な世界もある。死や絶望、憎悪や怒りに満ちた詩もあれば、神々しいまでの善意ややさしさがあふれた詩もある。通勤電車でこんな詩をまともに読んでしまったら、現実世界に戻ってこられなくなってしまうんじゃないかと心配になってしまう詩がずらりと並んでいる。行きよりは帰りに読んだ方がリフレッシュとしては良いかもしれない。

ギョッとしたのは金時鐘「犬を喰う」。心洗われたのは宮澤賢治「眼にて云ふ」。怖かったのは四元康祐「言語ジャック」。胸の奥に風が吹き抜けたのはシュペルヴィエル「森の奥」。共感したのは小池昌代「記憶」。凄みを感じたのは萩原朔太郎「遺伝」。こういう夫婦でありたいと思ったのは天野忠「しずかな夫婦」。こういう親になりたいと思ったのはウンベルト・サバ「ぼくの娘に聞かせる小さい物語」。ほかにもいろいろあるが、どの詩にどのように心が共振したか、読んだ人と語り合ってみたくなる。

ちなみに私は、この本を通勤電車では読まなかった。私の場合、通勤電車での本の読み方は、もっとどんどんページをめくるような、どちらかというと本に前のめりに入っていくような読み方だからだ。そのかわり、一週間くらいかけて、夜寝る前にじわじわと読み進めた。一つ読んでは余韻を楽しみ、二つ読んでは言葉を味わい。そんなたゆたうような読み方が、このアンソロジーにはよく似合う。