自治体職員の読書ノート

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【1238冊目】カズオ・イシグロ『浮世の画家』

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

前に読んだ『日の名残り』と相似形の作品。年老いた男性が、自分の人生を振り返る。現在進行形の現実のなかに、過去の思い出が挿入されてくるところも同じ。しかも、語り手自身が信じていた過去の記憶や信念が、徐々に揺らいでくるところまで似ている。

ただし、『日の名残り』の執事スティーブンスの人生が、失われつつある英国の伝統に彩られていたのに対して、本書の語り手である画家の小野は、太平洋戦争下の日本で時流に乗った戦意高揚の手伝いをしていたのが、終戦で急転直下、過去の「過ち」を非難されるという立場にある。両者の人生の違いに、常に「勝者」の側におり、歴史の大きな断絶をあまり経験しなかった英国と、終戦を境に極端な価値観の転換が起こった日本の違いが重なる。

本書のテーマは、日本人にとってかなり切実なところを突いてくる。特に、戦時中に「国家の側」にいた人々に対する手のひらをひるがえしたような接し方には、身につまされるものがある。確かに、時局に便乗して浅薄な芸術活動を送ってきた小野は浅はかであったかもしれない。特に、実際に徴兵され、戦地に送り込まれた若者たちにとっては、小野のようなヤカラは許しがたい存在であろう。しかし、だからといってやたらに居丈高になって小野のあやまちを責めるだけの資格を、いったい誰が持っているのだろうか。本書を読んでいると、小野のいじいじとした自己弁護もみっともないが、「転換後」の価値観でもって一方的に小野を糾弾する連中に対しても、読んでいると腹が立ってくる。

日本の小説にも、戦時中と戦後の価値観の転換を扱ったものは多い。しかし、小野のような「軍部側」に寄り添った人間にここまで密着し、その立場に徹して心情の襞を描き切った小説は、案外すくないように思う。

本書は、読んでいると(翻訳のうまさも手伝って)まるで日本人の書いた日本の小説を読んでいるような気分になってくる。しかしよく考えてみると、小野のような人物を軸にした本書のような小説は、カズオ・イシグロのような、日本に近しい立場の外国人にしか書けないものなのかもしれない。なぜなら、当事者にとって一番触れられたくない部分に、この小説はピンポイントで光を当てているからだ。書けそうで書けない、いやむしろ書きたくないビミョーな「影」の部分に。しかし本当は、むしろこういう小説ほど、本当は日本人の作家の手によって書かれなければいけないはずなのだ。

本書の語り手である小野は、ある意味、日本が経験した戦中と戦後の「ねじれ」を見事に体現している。そんな小野の心情を読むことは、実はわれわれ日本人の歴史の断絶を、心情において読むことであるように思われる。そういう試みこそ、実は戦後の日本人にいちばん必要なことだったのかもしれない。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)