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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1236冊目】ピーター・F・ドラッカー『マネジメント(エッセンシャル版)』

組織・仕事・公務員

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

これは「ビジネス書」ではない。「思想書」である。

「マネジメント」というタイトルから、主に民間企業向けの内容だと思っていたのだが、読んでみると本書の射程ははるかに広い。政府や自治体などの公共機関、あるいはNPOなど、ほとんどあらゆる組織が対象に含まれている。

ちなみに公的機関のマネジメントについては、9つある章のうち一章まるまるを割いて論じられている(第2章 公的機関の成果)。予算中心主義から成果中心主義への脱却、公的機関の組織としての本質など、いずれも核心を突く指摘で、目からウロコがぼろぼろ落ちる。同時に、行政マン向けの「改革本」のネタ元のひとつが本書であることもよ〜くわかる。特に企画や財政に携わる職員、幹部職員は全員必読かと。

それにしても、組織にはなぜマネジメントが重要か。ここでちょっと意外だったのは、本書の「まえがき」で、全体主義への対抗原理としてマネジメントが位置づけられていること。

「組織をして高度の成果をあげさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方策である。その組織に成果をあげさせるものがマネジメントであり、マネジャーの力である。成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである」

そもそもドラッカーは、20世紀初頭にドイツ系ユダヤ人としてウィーンに生まれ、ナチス・ドイツの出現を目の当たりにした体験をもつ(ウィキペディアによると、フランクフルトで記者をしていた頃は、ヒトラーやゲッペルズへのインタビューを許可されたこともあるという)。その後は、迫害を逃れるためか、1933年にイギリス、さらに37年にはアメリカへ移住しており、全体主義への危機感は相当強いものがあったと思われる。39年に書かれたドラッカーの処女作『経済人の終わり』は、全体主義研究の書なのだ。ドラッカーにとって、全体主義との闘いはまさに「原点」なのかもしれない。

そんなドラッカーであるから、マネジメント論にしても、単なる企業の営利追求に終始するそこらのビジネス書とは目の高さが違う。ここでは企業をメインに書くが、ドラッカーによると、そもそも企業をはじめとする組織とは、社会に貢献しているがゆえに「社会に存在することを許されている」存在だという。したがって、企業の存在意義は社会への貢献である。ただし、それは企業活動を通しての貢献である。利益は、そうした活動を行うための手段にすぎない。

そこで決定的に重要となるのが、マーケティングとイノベーションだ。ただし、ここでいうマーケティングとは、単なる市場調査ではない。それは、顧客を理解することであり、顧客を出発点とする思想をいう。したがって、マーケティングが重要となるのは企業だけではない。公的機関もNPOも、顧客(行政であれば「住民」)から出発するのが基本なのだ。そういえば、北川正恭県政下の三重県で「生活者起点」というコンセプトが打ち出されたが、まさにあれこそがマーケティングの発想なのだろう。

一方のイノベーションも、誤解の多い概念である。単なる発明や技術革新そのものが、イノベーションなのではない。それは、経済や社会にもたらされる変化であり、新たな価値の創造である。そのためには、古いもの、陳腐化したものを計画的・体系的に捨て、変化を機会として捉えなければならない。イノベーションにおいては「既存のものはすべて陳腐化する」と仮定するという。役所にとっては特に耳の痛いコトバである。

本書は「エッセンシャル版」というとおり、1974年に刊行された『マネジメント』の簡易版らしい。だが、その言わんとしていることは十分に伝わる(むしろ同じことが何度も出てきてくどいくらいだ)。

印象的だったのは、「成果をあげて社会に貢献する」という組織のミッションがゆるぎない一本の柱のように本書のど真ん中を貫いており、そのため全体の内容がみごとに体系づけられていること。まさに本書の内容自体、構成自体が、ひとつの組織のようにあざやかにマネジメントされているのだ。冒頭にも書いたとおり、これはグローバル化と知識労働化、組織の巨大化が進む現代で、その組織を動かす使命を負った人々のための、文字通りの活きた思想であろう。今までもドラッカーの本は何冊か読んできたが、彼が「巨人」と呼ばれるワケが、本書を読んで初めて腑に落ちた。

「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか 生活者起点の「行政革命」