自治体職員の読書ノート

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【1112冊目】小川洋子・岡ノ谷一夫『言葉の誕生を科学する』

言葉の誕生を科学する (河出ブックス)

言葉の誕生を科学する (河出ブックス)

言葉の「進化」はいろいろ研究されているが、その「起源」はまだよくわかっていない、という。本書は、そんな言葉の誕生の瞬間をめぐる探求の一冊。

すでに結論が出ている「知識」を伝えるのではなく、未知の分野のフロンティアに突っ込んでいく、というのがおもしろい。未知の領域だからこそ、いろんな仮説を出し、いろんな思考実験をすることも許される。本書は作家の小川洋子を「聞き手」にすることで、「言葉のプロであって、科学のシロウト」という絶妙の立場からの「聞き出し」をすることに成功している。小川洋子はもっともの静かで謎めいた人という印象があったが、なかなか突っ込みもうまく、ユーモアを交えながら実に巧みに岡ノ谷教授からいろんな面白いことを引っ張り出していて、ちょっとびっくり。だいぶイメージが変わりました。

岡ノ谷教授の研究アプローチは、「言葉に近い音」をあやつる動物を研究することで、「音」と「言葉」の臨界点を探るというもの。読んだことはないのだが『さえずり言語起源論』という著作で、すでに鳥のさえずりと言葉の関係を論じておられるらしく、本書でもそうした視点からの研究が紹介されている。面白いのはジュウシマツの鳴き方で、なんとこれはさまざまな音節を組み合わせて一個の音楽のような構成をつくっているという。それぞれの音節が他の鳥からの模倣になっていて、それを組み合わせて自分の鳴き方をつくっていくというところも、妙に人間っぽいものがある。

岡ノ谷教授によると、発声を学ぶ動物は鳥、クジラ、人間だけだそうだ。しかも鳥は空を飛び、クジラは水中に潜るため、それぞれ呼吸の仕方を意図的に調整しなければならない。しかし人間にはそうした必要が特にないのに、発生を学習している。それはなぜだろうか。

そこで教授が示すのが「産声起源説」。赤ん坊の時に泣き声をいろいろ変えながら泣くことで、実は発声法をトレーニングしているのだという仮説だ。しかも面白いことに、生まれてから二週間くらいまではどの家の赤ん坊も同じように泣くのだが、その後、泣き方に赤ん坊ごとのパターンと個性が出てくるのだという。「ミルクを欲しがる赤ん坊」共通の泣き方というのは存在しないらしい。

どういうことかというと、例えばミルクがほしくていろんな泣き方をしているうちに、お母さんがある泣き方に対応してミルクをくれたとする(お母さんのほうも、赤ちゃんが何がしてほしいのか最初のうちは分からなくって、いろいろ試してみますよね)。するとそこで赤ん坊のほうに一種の学習が起こり、言ってみればお母さんの「思い込み」にあわせて泣くようになるというのである。つまり、お母さんの対応にあわせて赤ちゃんのほうも泣き方を区切っていくというのだ。繰り返しになるが、最初っから「ミルクがほしい泣き方」があるわけじゃないのである。

こんな具合に、本書では驚きの仮説が次々と紹介されるわけなのだが、一方で科学を離れて、人間にとっての「語ること」「聞くこと」「書くこと」の意味を洞察することも忘れていない。その問いは人間の心の本質にまで至っていくのであるが、ここで印象的だったのが「心の理論」と「ミラーニューロン」に関するくだり。

ミラーニューロンというのは、文字通り「鏡」のようなニューロン(神経細胞)のこと。これは、他人の行動を見ることで反応するニューロンのことで、例えば自分がボールを投げる時に活動するニューロンが、他人がボールを投げるところを見ているだけでも同じように活動する。これがミラーニューロンの働きである。

さて、社会生活を営む際には、他人の行動を予測できたほうが良い。他人の行動を予測するには、他人が自分と同じような「心」をもっていると想定したほうがよい(実際には他人が心を持っているかどうかは分からない。実は精密なロボットかもしれないし、ゾンビかもしれない)。他人の行動を「心」を前提にして想定していくと、先ほどのミラーニューロンがそこで反応する。つまり他人の「心に基づく行動」を見て、同じ部分の神経細胞が反応する。

そこで出てくるのが驚きの仮説なのだが、岡ノ谷教授はここで「他者のなかに見ていた心が、それがミラーニューロンを介して自分に振り向けられたときに、自己意識になるのではないか」というのである。つまり自己意識、自分の心が先にあって他者の心を想像するのではなく、最初に他者の心があって、それを鏡で映したのが「自分の心」なのではないか、という逆転の論理なのだ。小川さんはこれを「他者が自己を形成した」と見事に要約する。

この指摘は、案外本質を突いている。自己意識が先にあって他者の心を想定するというより、私は感覚的にストンと腑に落ちるものがある。確かに考えてみれば、そもそも自己は他者からつくられているのだ。自己意識というヤツが幅を利かせ過ぎているために、われわれはそのことを忘れてしまうだけなのである。

さえずり言語起源論――新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ (岩波科学ライブラリー)