【1085冊目】越澤明『復興計画』
復興計画 - 幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで (中公新書(1808))
- 作者: 越澤明
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/08/26
- メディア: 新書
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東日本大震災からの復興を前に、日本のこれまでの「復興史」を見直す。
言うまでもなく、日本の近現代における都市の歴史は、ほとんどが破壊と復興の繰り返しであった。幕末から近くは東日本大震災まで、とにかく日本の歴史は地震、津波、火災、さらには空襲などの戦災と、ひっきりなしの災害に見舞われてきた。そしてまた、そうした災害があるたびに、日本の都市は復興に取り組んできた。本書はその「繰り返し」の歴史をたどる一冊でもある。
読んでいて不思議だったことがある。そんなに災害づくめなのに、幕末から阪神・淡路大震災まで、日本では復興への取り組みに対する理解や認識がなかなか深まらず、復興費は毎回毎回削減に次ぐ削減の憂き目を見てきたことだ。道路の拡幅や空地の整備、建物の不燃化促進など、一度やっておけば次回以降の(ほぼ確実にそのうち訪れる)災害のダメージを少なくできることがわかっているのに、実際にいざ復興の段になると、予算が削られる。
目先の復旧や被害者への支援に予算が回される、というのがその主な理由だそうだが、それにしても、「次の被害」を予防するという点について、不思議と日本の為政者は関心が薄い。「その場しのぎ」が身に染みついてしまっているのだろうか。自分が権力を握っていない30年後や50年後のために無理をするより、目先の予算審議を乗り切るほうが先決ということなのか。
本書を読むと、関東大震災から戦災復興、さらには戦後の復興まで、まあよくも飽きもせず同じパターンが繰り返されるものだ、とあきれざるをえない。関東大震災では、後藤新平が提示した50億円もの復興予算は、何と6億円を下回るまで削られた。戦災復興でも、具体的な金額は本書には示されていないが、戦後の財政緊縮のあおりで大幅な削減が行われた。阪神淡路大震災の時は、さすがにこうした大幅削減はなかったが、住民参画や集合住宅の建て替え、高齢者の福祉住宅など新たな問題がたくさん浮上した。
復興自体は、決して急ぐ必要はない。しかし大胆に、巨額の費用を一挙に投じてやるべきだ。本書が示す最大の教訓はその点であろう。復興費用を「ケチった」報いがどのような形でその地域に訪れたかを知るには、本書を読むとよい。思えば、旧日本軍の作戦からバブル処理に至るまで、日本の政策は「逐次投入」が多い。今回の震災対応も同じである。しかしそういうのは、もうやめにしたほうがよいのではないだろうか。