自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1034冊目】佐藤優『国家の自縛』

国家の自縛 (扶桑社文庫)

国家の自縛 (扶桑社文庫)

※以下の文章は「大震災」前に書いたもの。3月11日を経て少し状況が変わってきている部分もあるが、以下の内容と現在の状況を照らし合わせることで見えてくるものもいろいろありそうなので、あえて元のまま載せておく。ちなみに、むしろここで示した危惧の一部は、大震災を経てかえって強化されているような気がする。

さて、本書は前著『国家の罠』の続き、ということになるらしい。産経新聞社のジャーナリストであり、日露外交に詳しい斎藤勉氏がインタビュアーとなり、インタビュー形式で書かれているのだが、そのナビゲーションが控えめながら絶妙だ。鈴木宗男佐藤優バッシングが吹き荒れていた頃、その中でギリギリの佐藤優擁護を記事にした斎藤氏だけに、ゆるぎないバランス感覚と掘り下げの鋭さはさすが。産経新聞というメディア自体については、私はほとんど評価していないのだが、こういう記者を擁する懐の深さは見上げたものだ。

佐藤優についてはこれまで何冊かを読み、ここで感想も綴ってきたので、同じことの繰り返しになりそうだが、それでもやはりこの人の、強靭な知性に裏付けられた一本筋の通った国家観と外交論はものすごいとしか言いようがない。特に対米関係、対露関係、対中関係という大きな外交の三本柱についての分析がすばらしい。本書の単行本が刊行されたのは2005年だが、国際情勢のダイナミックな動きを扱って、5年以上が経った現在でもほとんど違和感がないのであるから、これはほとんど神業である。

そして、本書は最初単行本で、後に文庫本で刊行されているが、読むなら絶対に文庫本バージョンにするべきだ。その理由は巻末に付された膨大な「文庫版あとがき」。あとがきといっても、これはここだけで一冊の本になるほどのボリュームと内容をもっている。そして、そこで展開されているのはなんと、佐藤氏一流の「小沢一郎分析」「民主党分析」。特に政治資金規正法が事実上の「治安維持法」化しつつあり、政治家を葬り去るためのフリーハンドを検察官側に与えていること、小沢氏秘書の石川議員に対する検察側の捜査が完全な「事件捏造」であることはもとより(著者と石川元議員の会話を読まれたい)、その背景にあるのが民主党と検察官僚の「覇権闘争」であるという指摘が、個人的にはたいへん興味深かった。

これはとても大事なことだと思うので、詳しく書いてみる。まず、小沢一郎側と検察を含む国家官僚側は、国家の運営に対して大きく意見を異にする。前者が主張するのは、国民に選ばれた政治家がリーダーシップを取って国政を運営すべきであり、官僚は、排除すべきとまではいかないものの、あくまで政治家の手足となって政策を遂行する役割に徹するべきだという考え方だ。議会制民主主義の王道といってよい。だから政権交代後、民主党事務次官会議を廃止し、事業仕分けで官僚をさらしものにしたのである。

それに対して後者(検察・官僚側)は、国民とは基本的にものの分かっていないアホであり、国を導くのはエリートたる官僚であるという信念を無意識的に持っているという(同じ公務員でも、しがない自治体職員としては理解しがたいことであるが)。彼らの信念では、国を動かす舵を「アホな」国民に委ねるのは国を滅ぼす道であり、断じて許すことはできない。したがって、そのような「暴挙」に出ようとする小沢一郎を逮捕・起訴し、その政治生命を葬り去るのは、彼らにとって「正義の行動」であるということになる(著者は、検察官僚が「青年将校化」しており、今の状況は戦前の二・二六事件に酷似していると指摘する)。

本書は鳩山総理の辞任前のものだが、今の時点からみると、結果的に、検察側の目論見はかなり功を奏している。小沢一郎は鳩山前首相と共に表舞台から退き、後を継いだ菅政権は参議院選挙で惨敗した。事務次官会議は復活し、政治が機能不全に陥る中で、官僚に対する信頼が無自覚的に国民の中で増しているように思える。

だが、今の状況はもうひとつの、本書が危惧する可能性をどんどん増している。それが、ファシズムに対する危険性だ。

今更ファシズムかよ、と思われるかもしれないが、著者は日本におけるファシズムの出現を本気で心配している。そもそも検察も民主党も、時機さえかみ合えばファシズムの担い手になる可能性はあった。小泉・竹中による新自由主義的政策の導入で、中間団体や地域コミュニティが解体し、個人がばらばらのまま浮遊する状態が続いている。これは引火寸前のガスのようなもので、国民を束ねる強力な存在が登場すれば、一気にファシズムに傾くおそれがある。

本書でその担い手になりうるとされているのは民主党だったが、今の状況ではどうだろう。仮に衆院解散となった場合、復権したものの旧来型の利益誘導政治にも戻れない自民党あたりが、安易なナショナリズムに訴えてファシスト化するのではないだろうか(結果的に空回りしたが、安倍政権あたりの時点で、すでにその芽はあったように思う)。あるいは、自民・民主とも過半数が取れなかった場合、「たちあがれ日本」のようなナショナリスト政党、「みんなの党」のようなポピュリスト政党がキャスティングボードを握り、そのあたりからファシズムが始まっていくのかもしれない。

民主党政権はたぶんそう長くないだろう。問題は、だからといってかつてのような自民党単独長期政権に戻るとも思えない点だ。たぶん、今後しばらく日本は、不安定な二大政党制の中で政治的意思決定ができず、官僚の自己保身の中で、政治的にも経済的にも没落していくに違いない。

しかし、国家の衰退そのものはそれほど怖くない(それに合った社会システムを構築すればよいだけの話だ。広井良典氏の著作がヒントになると思う)。それより怖いのは、国民があまりにも「日本はもうだめだ」と思いすぎ、「強い日本」の出現を安易に期待しすぎることで、全体がファシズム化するという筋書きのほうだろう。そうならないためのビジョンを描き出すのが政治の役割であるはずなのだが(菅政権が掲げた「税と社会保障の一体改革」はそのあたりに通じてくる論点なのだが、今の状態ではまともな政策論争は期待できない)、民主党にも自民党にも、そんな力が残っているとは思えない。国を憂えるなどガラじゃないのだが、さすがにこの状況は、ちょっと、ヤバイのではないだろうか。