自治体職員の読書ノート

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【972冊目】中井久夫『私の日本語雑記』

私の日本語雑記

私の日本語雑記

精神科医である著者による、日本語をめぐる随想。

精神科医と日本語、という組み合わせに、最初はちょっと違和感があった。しかし、考えてみれば精神科医という職業は、言葉を抜きにしては成り立たない。レントゲンや血液検査で疾患の原因がわかる患者さんを相手にしているのとは違うのだ。もちろんいろいろなテストや検査法はあるにせよ、患者の症状を判断し、快方に導くための主武器は「言葉」。日本語学者とか小説家とは違った意味で、精神科医という職業もまた言葉のプロに他ならない。

また、そうしたこととは別に、著者は「日本語」に対する特別の経験をしている。著者は精神科医のかたわら、現代詩やヴァレリーの著作の翻訳に携わっているのだ。そのことがまた、詩の翻訳というきわめてナイーヴな作業を通じた、深い日本語論につながっている。実際、本書には訳詩をめぐる文章がいくつか収められているが、どれもたいへん興味深い。

著者の名前は知っていたが、文章を読んだのは本書が初めてだった。一読しての印象は、間投詞や動詞活用形などを考える際に、具体的な言葉を扱う「タッチ」がとてもやわらかく、慎重なこと。そして、そこから話題を広げ、深める時のスピードが早く、それでいて手つきのやわらかさは変わらない。精神科医、という先入観で読んでいるからそう感じるのかもしれないが、この方は患者さんに対しても、そういうやわらかさと速度をもって対応しているのだろうな、と思えた一冊であった。