自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1342冊目】斎藤環『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』

精神分析理論を通して「ひきこもり」を考察する一冊。

とは言っても、ひきこもりに特化した分析理論というものがあるわけではない。本書で紹介されている精神分析家は、ラカンコフート、クライン、ビオン。その中から著者が、ご自身の臨床経験に突き合わせて「いいとこどり」をし、「使える」部分を抜き出し、分かりやすく解説してくれている。

精神分析理論などという小難しい学問分野に対して、そんな「使える部分」の「いいとこどり」なんてしていいの? と思われるかもしれない。しかしむしろ、それは臨床家としてはまっとうなスタンスなのだ。そのあたりの著者の割り切り方はみごとなもので、だいたい本書の「はじめに」では「「正確な知識」などどうでもいい、と考えているところがあります」といきなり断言しているのである。

ちなみにその続きを紹介すると「臨床で一番大切なのは「考え方」です。理論というものは、「考え方」を鍛え、より複雑で洗練されたものにしていくうえで重要なのです」と続く。ここで、さらっと読み流してしまいそうで実はたいへん重要なのが、「複雑」という二文字。だって、なぜ考え方を「複雑」にしなければならないの?

この「考え方を/自己の内面を複雑に」というくだりは、本書の後半でも、精神科医の神田橋條治氏の言葉を引きつつ強調されている。たしかに、一見、自分の内面なんてシンプルなほうがいいように思えるし、あえて複雑にしておくとなると、なんだかいろんな悩みや迷いが多くて大変そうな気がする。

しかし実際には、複雑なところから(あえて付け加えれば、複雑かつ矛盾していればもっといい)でなければ生まれないもの、できないことがあるのである。臨床のプロセスなんて、ほとんどがそういうところから発しているのではないだろうか。

さて、個々の理論の概要や、本書のメイン・テーマである「ひきこもり」についてはあまり書けなかったが、それでも次のような言葉については、ぜひご紹介したい。ひきこもりへの対応に限らず、人間関係全般に対するヒントが詰まっている(第5章〜第6章より。引用ですが、多少アレンジしています)。ぜひ矛盾や偏りを抱え込んで、新たな「ひきこもり観」を会得……できればいいなあ。

「安心してひきこもれる環境を作ってほしい」

「悪い親の主張は、むしろだいたい正しいことが多いのです……正論をいう親が、本人にとっては悪い親だというだけの話です」

「「そろそろ仕事してみたら」などというのは、野暮とかという以前に、はっきりと有害なアドバイス」

「「友達のお子さんを一人預かっている」と考えるのがよい」

「治療は現状維持をめざす」

「治療者が交替するときに、患者さんに「あの先生じゃないと私はダメなんです」といわせてしまったら、それは治療者として敗北なのです」
(これってケースワーカーなどにも言える話ですね)

「自信がない人はプライドにしがみつくしかありません。そういう人に対して「おまえはプライドが高い」と断定することは、生きるよりどころを破壊する行為に等しい」

ほかにもいろいろあるが、まあこんな感じだ。しかし、実はこうした一つ一つの「臨床の知恵」の多くは、ラカンコフートらの精神分析の理論とちゃんと対応し、整合しているのだ。そのあたりはまさに「臨床の学」としての精神分析の力であろう。実は私自身、心理学を専攻していた大学時代に、精神分析についてはちょっとかじったことがある。その時は、発想としては面白いがなんだか荒唐無稽でマユツバな印象しかなかったのだが、なるほど、こういう「使い方」をするのか、と本書で初めて納得した。もちろん「ひきこもり」の現実に直面する治療家や家族や支援者にも有益な一冊だと思う。